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5 ・異文化理解について (1). 2010.05.13. 関東学院・文化人類学(民族誌). 前回 映像資料:広州市場. 市場で売られているものを、ノートなどにひとつひとつ書き取りながら、まず観る。 市場ではねこが食用として売られている。必然的に「ねこを食べるという〈異文化 〉 」がそこに存在することになるが、それについてどう思うか。また、この講義を受けている他の人々はどう考えていると思うか。 別紙を参照しながら、自分の選んだ選択肢番号(数字とアルファベット) それぞれ を、インプレッションペーパーの右上に 2A 5E 3B などと記入してください 。.
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5・異文化理解について(1) 2010.05.13. 関東学院・文化人類学(民族誌)
5・異文化理解をめぐって 前回映像資料:広州市場 • 市場で売られているものを、ノートなどにひとつひとつ書き取りながら、まず観る。 • 市場ではねこが食用として売られている。必然的に「ねこを食べるという〈異文化〉」がそこに存在することになるが、それについてどう思うか。また、この講義を受けている他の人々はどう考えていると思うか。 • 別紙を参照しながら、自分の選んだ選択肢番号(数字とアルファベット)それぞれを、インプレッションペーパーの右上に 2A5E3B などと記入してください。
5・異文化理解をめぐって 自分は「猫食文化」をどう思うか
5・異文化理解をめぐって 否定派・中間派・肯定派
5・異文化理解をめぐって ほかの人はどう思ったと思うか(1)
5・異文化理解をめぐって ほかの人はどう思ったと思うか(2)
5・異文化理解をめぐって 自分を中心に考えてしまうこと • 「日本人の感覚からすると、ねこはペットであって、食べるものではない」→「ヘンな食文化だ」 • 土を食べる民族もいれば、カブトムシの幼虫をごちそうとする民族もいるし、豚の血液をおいしいとする民族もいる • が、大事なのは、絶対的に・誰から見ても「変わっている」食物・食文化というのはない、ということ • 「ヘンな食文化」という考え方の裏には「自分たちはヘンじゃない」という前提がある • これは、日本人だけでなく、世界のひとびとに共通する普遍的な考え方=自文化中心主義 ethno-centrism • 「異文化理解」においては自文化中心主義はとても厄介
5・異文化理解をめぐって 異文化理解とはどういうことか? • 自分たちとかなり・全く異なる文化と接した場合、 • 「わたしたちとは違うけれども、それをとやかくいうことはできない」「あれはあれでありだろう」は、果たして異文化理解のスタンスとして適当なのか? • それは「わかったふり」をしているだけで、実はそれ以上の理解を拒絶・否定している可能性はないか? • あるいは、すべて受け入れて、自分たちも同じようにふるまえば理解したといえるのだろうか? • 「自分たちの文化とは違う」という文化の差異に対して、どのようなスタンスで臨むのか?
5・異文化理解をめぐって 猫食をめぐって(1) • まず大事な点は、1から6までのスタンスに、善悪が存在するわけでは「ない」、という点(真剣に考えて出た答えであるかぎり、どれも正当である) • 次に重要なのは、「1 絶対に許せない」から「6 自分も食べた」へと順々に進みさえすれば、他者理解が実現するわけでも「ない」という点(「食べたらわかる」などということはない)
5・異文化理解をめぐって 猫食をめぐって(2) • ねこが広州市場で食用として売られているのをみて、中国の文化への不信感を抱くのは短絡的である • ねこを食べるのが中国国内のどのような人々であるのかわかっているだろうか? (部分→全体への安易な拡大) • ねこを食べるという行為が、中国文化(あるいは、中国のある一部の地域・一部の階層の文化)全体のなかに位置づけられる、ある一つの小さな要素であるということをわかっているだろうか? (文化の総体性の無視) • ねこを食べる理由が、たとえば非常に人道的な目的であったりする可能性を考慮しただろうか? (行為の背景にある文脈の無視)