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再臨主の路程

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再臨主の路程. (1920年~1968年). レベル1-1. メシヤの再臨摂理. サウル王 ダビデ王. アブラハム モーセ ソロモン王 マラキ イエス. 400 400 120 400 210 400. エジプト苦役時代  士師時代 統一王国時代 南北王朝分立 ユダヤ 民族捕虜   降臨準備. メ. 1517. イエス アウグスチヌス チャールズ大帝 ルター 再臨主.

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再臨主の路程

(1920年~1968年)

レベル1-1

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メシヤの再臨摂理

サウル王

ダビデ王

アブラハムモーセソロモン王マラキイエス

400400 120 400 210 400

エジプト苦役時代  士師時代 統一王国時代 南北王朝分立 ユダヤ民族捕虜   降臨準備

1517

イエスアウグスチヌスチャールズ大帝ルター再臨主

400 400 120 400 210 400

ローマ迫害時代  教区長制  キリスト王国  東西王朝分立 教皇捕虜帰還    再降臨準備

1517+400=1917~1930

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再臨主誕生の摂理

国家的摂理

●1919年3月1日(陰暦) 柳寛順(ユガンスン) 三・一独立運動(大  極旗)によって、日本の植民地(日帝40年)から韓国が一時的に   独立、神側の再臨主の降臨摂理を可能にした。(サタンは再臨主を誕生させたくないので韓半島を主管下に置いていた)

世界的摂理

●第1次世界大戦(1914~1918)がキリスト教国家(米英仏)が反キ  リスト教国家(独オ土同盟国)に勝利→世界的長子権復帰 →世界的メシヤのための基台 → 再臨メシヤ誕生 

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再臨主誕生の摂理

東洋のジャンヌダルク柳寛順(1904~20)ら が三・一独立運動(万歳事件)をした10ヶ月後、

1920年1月6日(陰暦)

定州

文鮮明師が誕生(定州)

文村(ムンソン)  父母は善良で情け深く、多くの難民が家に訪ねてきた。

文家の家訓  <家を訪ねてくる人には食事を与え、必要なお金も与えよ。>文先生が母の胎内にいるころ、ふるさと定州はおびただしい流血の色に染まっていた。

定州はキリスト教の盛んな地域。三・一独立運動の激戦地。平安北道での集会数315回、51万2千人、死亡2042人、負傷3700人、逮捕者1万2千人

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少年時代

自然を愛する

「私は幼い時、山に通いながら、花という花を調べてみました。知らない花がありません。家の裏の小山に行って、自然があまりにいいので家にも戻らず、日が沈むまで自然と交じわり歩き回って、疲れてうつぶして寝たところ、夜十二時になって、母と父が捜しに来て、連れていくことが多かったのです。自然をそのように好みました」

情の深さと悩み

「先生は貧しくて栄養失調になったかわいそうな人々のために、毎日20、30里(8キロから12キロ)の道のりを、池を捜し歩いて、蛙を捕らえては食べさせてあげました。先生は幼いころからかわいそうな人を見ると、そのままにしておけない性格なのです。今考えると、このような私の性格を神様が必要としたのです」

「また、少年時代から人生に関し、次のような、いろいろな基本的な問題などに対して悩み始めました。『私は誰であるか。私はどこから来たのか。人生の目的は何か。死んだのちに、私たちの生命はそのまま続くのか。また、神様は果たして存在されるのか。神様は全能であられるか、あるいは無力な存在であられるか。もし神様が全能であられるなら、神様はなぜ人類世界の問題を解決してくださらないのか。この地球上には、なぜ多くの苦痛が存在するのか』」

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イエス・キリストとの出会い

16歳(数え)の1935年4月17日、定州の生家から数キロほど離れたところにある猫頭山(ミョドウサン)で祈っていると、文少年の霊眼が突然開けてイエスキリストが現れた。

「イエス様は深遠な、また驚くべきことをたくさん語られ、苦しんでいる人類をご覧になり、神様が悲しんでおられると言われました。そして、自分が果たせなかった地上での使命を、私に成就してほしいと切々と話されたのです。」

文先生はこの日から今日に至るまで、ひとときも「神と人類の解放」という天命を忘れたことはありません。文少年の生活はこのイエス様との出会いの日から大きく変わりました。神のみ旨を成就するために、絶対的真理「原理」を解明する苦しい生涯がはじまったのです。

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真理解明の路程

ソウルでの学生生活と日本留学期間の9年間で、神の心情、人間堕落の根源、人間の責任分担、神が何故堕落行為に干渉されなかったか、イエス様の十字架の原因(洗礼ヨハネの失敗)、蕩減復帰歴史と再臨の時など、聖書の奥義の解明および統一原理のみ言を命がけで闘い勝ち取られた。

また留学期間、真の父母として全ての人類を救うために、あらゆる労働や社会的底辺の人々(水商売の女性など)に会うことによって、人の苦しみや悲しみの全てを経験された。

帰国後、1944年警察の官憲から、独立運動のかどで極悪非道な拷問を受ける。日本での活動内容と仲間の名前を言えということに対して黙々と拷問を耐え続けられた。致命的な傷とダメージを受けられたが、翌年終戦のころまでにやっと回復された。

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再臨主を迎える摂理

再臨主を迎える摂理

1945年

アダム

エバ

イエス

十字架

再臨主

堕落

真の父母

真の父母

真の父母

神の血統へ

サタンの血統

サタンの血統

子女

子女

子女

霊的救い

家庭、国、世界

家庭、国、世界

家庭、国、世界

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再臨主を迎える摂理

●再臨主(真の父母)の使命は、原理を解明し全人類を神の血統に転換することと、神の主権を復帰することである。

●歴史の目的は、メシヤ=真の父母を人類に送ること。即ち、子女である人類がいかに真の父母を迎えられるか。(メシヤのための基台)

原理を解明された後、第2次世界大戦終了の1945年、再臨主(文鮮明師)は国家的・世界的に準備された「メシヤのための基台」を訪ねて行かれた。→イスラエル修道院(ソウル)

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獄中での摂理

イスラエル修道院での約半年間の摂理が失敗(洗礼ヨハネ的使命者金百文牧師は文青年がソロモン王であるとの啓示を無視してメシヤに従わなかった)→蕩減復帰のため一人北韓へ出発、1946年6月6日ピョンヤン(東洋のエルサレム)に到着、伝道開始。啓示を受けたキリスト教信徒らが礼拝に集い、泣く教会と言われる。信者を奪われまいとする既成教会の迫害が始まる。

監獄で腹中教幹部たちに出会う。獄中の許孝彬(ホ ホビン)教祖が洗礼ヨハネの使命を果たせるようにと、ある方法で手紙を渡したが、再臨主を受け入れず。手紙が発覚して、文先生は激しい拷問を受ける。

ピョンヤン

ソウル

46年11月21日半死半生の姿で釈放される。翌年奇跡的に回復。再び伝道を開始される。

1946年8月11日共産党の告発でスパイ容疑で大同保安署に拘束。拷問を受ける。

腹中教:空中再臨ではなくお腹から主が誕生されるとして、祈祷と精誠で0歳からの服などをこしらえて主を迎える準備をした教団。

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興南監獄の受難(十字架路程)

フンナム

ピョンヤン

二人の洗礼ヨハネ的人物の失敗によって、主は十字架へ。

1948年2月22日共産党の宗教抹殺政策によって拘束。過酷な取り調べ、拷問。5年の刑宣告。

興南(フンナム)監獄へ移送。興南監獄で強制労働(肥料工場)

「(硫酸アンモニウムの)肥料の山を袋につめて運ぶ仕事。一組(10人)の一日の責任量は1300かますであって、8時間以内に終えなければ、食事が半分に減るようになっていました。」

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興南監獄の受難

「体は硫酸で害を受けます。髪の毛が抜け、皮膚を絞ってみれば水が出てきます。六ヵ月が過ぎると、必ず喀血します。大概、肺病だと思って落胆するので、死んでしまいます。せいぜい一年半か二年しか耐えられません。」

「先生は、そのような仕事をするために生まれたのだと考えました。先生は常に、あたかも復帰摂理をするかのように、すべての心情とすべての誠意を、その仕事に注ぎました。‥先生は、休息時間を告げるベルが鳴っても、聞こえませんでした。」

「先生は、鉄筋のような男だ」というような言葉をたくさん聞きました。私が手をつける仕事は、本当に楽しくてするのです。誰よりも喜んでするのです。」「結局は、乗り切っていったのです。どんなに困難な監獄でも、貫いていかなければなりません。私はここで死んでも、「お前は負けずに勝って死んだ」という、そのような思想を残さなければならないと考えたのです。」

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興南監獄の受難

夢に先祖が現れ、再臨主である文先生に侍るようにと告げられたのが、囚人の総団長になった朴正華氏であった。氏は、時々文先生に「私が話をすれば、そのような重労働をしないで楽に過ごせるようにして差し上げることができます。」と進言した。その度毎に先生は「私は獄中に於いても、(サタンに讒訴されないように)最悪の獄中生活をしなければならない。」として最後まで受け入れず、その恐ろしい重労働を続けられた。

「それで毎年、(共産党から)模範労働者賞をもらいました。」

「そして困難な労働でもって彼らが死ぬ時を待つのです。北韓で監獄にいる時、先生は強制労働収容所に閉じ込められました。金日成はソ連の経験を見本にして、すべての囚人を三年の間、困難な労働に動員し、彼らを死ぬまでそのままにしておきました。」

「一日にくれる御飯は、小さな茶わんで一・七杯ぐらいです。おかずは何もなくて、汁は味噌汁ではなく塩水です。それを食べて八時間労働をするのです。食べるものが少なくて、大きい口なら三口で終わってしまいます。汁として、大根の葉と塩を入れたものをくれます。それがすべてです。」

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興南監獄の受難

愛の実践によって生きる

「御飯を自分の口の中にほうり込んだところ、のどが詰まってすぐに死んでしまった人もたくさんいました。一人の囚人が、自分の御飯を全部食べる前に死ぬと、他の人々が、その死んだ人の口から御飯粒を取り出して食べるために争います。」

「先生がそのような環境の中で、どのように生き残ることができたのでしょうか。先生は精神力の重要性を知りました。先生は精神的に、特別な決心をしました。それで先生は「先生が食べる食事の半分でも生きられる」と、心に確信をもちました。それでその次の日から、先生は他の人たちに先生の食事の半分を与えることを始めました。それを三週間続けました。先生は「半分の食事を食べても、作業量を完遂できる」と確信するようになりました。その時から先生は、先生に分け与えられた食事をすべて食べるようにしました。そして「先生の食事は半分で、残りの半分は神様によって与えられたおまけだ」と考えました。」

「腹が減って、御飯を恋しがりつつも、それを忘れようと努めながら、神様をより一層恋しがろうと、涙を流しました。」

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興南監獄の受難

「獄中生活において、イエス様が追われ、弟子たちが反対した立場を蕩減復帰しなければなりませんでした。先生はその監獄生活の中でも、霊界が協助して十二名の弟子たちを伝道したのであり、それによって新しい摂理が出発できるようになったのです。」

「それは、神様が急いで救わなければならない一人の息子が、そこにいるためでした。十月十二日、刑期が七年以上である囚人、およそ七十名ほどを、三里ほどの山の中に引いて入っていき、全部殺してしまいました。その当時、先生の刑期は五年であったために、その次の、次の日が私が引っ張られていく番でした。ですから、神様はお忙しかったことでしょう。十三日、夜道を見渡すと既に事態が変わっていました。国連軍が興南に上陸したのです。そのようにして、ついに十月十四日、共産軍が退いて、すぐ私たちは監獄から抜け出てきました。」

「もし韓国が再臨のメシヤを受け入れていたならば、韓国動乱が起きたでしょうか。起きなかったのです。三年間もあれば完全に国家基準を全部収拾したはずです。そして七年路程もすれば、世界に完全に道を築いたはずです。一九五〇年の六・二五動乱は、七年の過程で起こった戦いです。キリスト教が支持しないことにより、サタンが浸透して打つことができる基盤ができたためです。それにより二つの怨讐が生じたのです。それらが共産世界とキリスト教です。」

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「先生は東海岸にある興南から西海岸地域の平壌まで歩いて帰ってきました。かつて先生に従ったすべての人たちに、先生が帰ってきたということを知らせる人たちを送ったのですが、大部分の人は来ませんでした。‥」「先生は東海岸にある興南から西海岸地域の平壌まで歩いて帰ってきました。かつて先生に従ったすべての人たちに、先生が帰ってきたということを知らせる人たちを送ったのですが、大部分の人は来ませんでした。‥」

金元弼 ・朴正華氏と南へ

「平壌の都から、みな避難して行ったのちに私が出発したのです。そうして、足が折れて自分で歩けなくなっている人を私が自転車に乗せて引いてきました。人民軍、八路軍、中共軍を三里後ろにして、一番最後に出て来たのです。 」

「三十八度線に両足でまたいで立ち、泣きながら「南北を私の手で統一します」と誓いました」

(朴正華氏の証言) 12月12日、傾斜30度の大変な山道を、先生がハンドルを握り、大きな私が荷台に乗って、金青年があとを押して登っていきましたが何度も押し返されてしまいました。神様の大切な使命を負った先生であることを思うと、「どうか私をおいて二人で先に行ってください」と、ひざまずいて何度もお願いしたのです。しかし、先生は「私たちは死んでも一緒に死に、生きても一緒に生きるのだと牢獄の中で約束したではないか!」と叱りました。いつの間にか私は負ぶわれていて、「これから先、死ぬようなことも何度もあるだろうが、しかし我々は三位基台を造ってていくならば必ず神が助けてくださるから元気を出して行こう」と励ましてくださったのです。実際その後、避難民の群れに北の戦闘機の機銃掃射を受け隣の人がバタバタと倒れていくようなことが三度起こりました。‥‥

「人類史の大真実」より

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「そこは共同墓地の近くで、石だらけの谷のほかには、何もありませんでした。そのような所に、先生は豚小屋のような仮設の建物を建てました。」

姜賢実女伝道師は、神学校学生であり、友人から「あのボンネッコルの谷に不思議な話をする青年がいる。」と聞いて、一九五二年五月十日訪ねて行く。その日は、文鮮明先生が約一年前から書いて来られた原理原本の執筆を終えられた日であった。

釜山 ポムネッコルの小屋

原理原本執筆に使われたランプと机

●1953年7月 姜賢實女史が大邱(テグ)に開拓伝道へ。●1954年5月1日 統一教会創立(再臨主を迎えるキリスト教の代わりの使命)

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神を中心とする統一世界(実体的カナン)

再臨主を中心とする7年

実体的カナン復帰路程

天の計画

・歴史的ワンチャンス(大戦後キリスト教諸国が世界を主管)

・45年10月国連創設・李承晩大統領・マッカー サー・米国宣教師

世界   (米・国連)

国家 (韓国)

韓国キリスト教

公生涯出発

光復節

洗礼ヨ ハネ・霊 的集団

1945

1952

1948.8 韓国独立

1954年5月  世界其督教統一神霊教会創立

金牧師・イスラエル修道院

釜山の小屋から再出発

荒野路程(40年)へ

実際の路程

許教祖・腹中教団

復活

24名伝道サタン屈服

興南監獄

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釜山からソウルへ

大邱(テグ)伝道が勝利し、ついにソウルで伝道が開始された。 1954年5月1日、ソウルにおいて「世界基督教統一神霊協会」の看板を掲げて出発。

梨花女子大の梁允永教授(音楽)、李正浩教授(国文学科長)、崔元福助教授(学生課長)、金永雲助教授(社会事業科長)、韓忠助教授(舎務課長)らが次々と講義を聞き、統一原理に感動し伝道された。

この時、統一教会(アベル)と、第一次摂理の失敗ゆえにカイン的立場に立った既成キリスト教会が、梨花女子大を通じて一体化したならば、韓国とアメリカが連結され、再び地上天国(神主権世界)への道が開かれるようになっていた。

神の摂理によって、梨花女子大の副総長の朴マリアは、当時の副大統領の立場にあった李起鵬の妻であり、息子が李承晩大統領の養子となっていた。しかし、摂理の中心人物はまたも責任を果たせず、地上天国実現への道を妨害してしまった。

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梨花女子大事件

統一教会の教理が梨大の信仰、メソジストとあまりにも違い、異端的信仰であるとして大学側は、1955年3月、統一教会での信仰を捨てない5名の教授・助教授を免職処分にした。また5月には、14名の学生が退学を言い渡された。また、マスコミを利用して根拠のない悪宣伝をするようになった。

1955年7月4日、文先生は兵役法違反および不法監禁などの嫌疑で逮捕された。その後、金元弼氏、さらには劉孝元協会長をはじめ3人の幹部が拘束された。このようにしてアベル側の統一教会とカイン側の既成キリスト教会の一体化の道は開かれず、再びめぐってきた地上天国復帰への道は閉ざされた。

地上天国への道は、再び牢獄において再出発することになった。

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牢獄からの出発

文先生は教会創始者ゆえ、苛酷な血まみれになる拷問を受けられた。

西大門(ソデムン)刑務所に収監され、3ヶ月後の10月4日、文先生は無罪と判決が出された。(その新聞記事は小さなものだった。)その日の夜に文先生は出監された。

1957年、文先生は40日断食祈祷をされた。そして全国において一斉に開拓伝道が始まった。

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韓 鶴子 夫人

韓 鶴子 (ハンハクジャ)夫人は1943年、洪 順愛(ホンスネ)ハルモニが30歳のとき、文先生と同じ陰暦の1月6日、平安南道の安州の信里という村で誕生された。洪ハルモニは熱心なキリスト教徒の母のもとで育ち、いつも「もっと高い教会はないか」と捜していたが、聖主教団の金聖道ハルモニに出会い、そこで15年間信仰を続けられた。そののち腹中教のもとで再臨主の降臨を待っておられた。

韓鶴子女史が6歳のとき、洪ハルモニと共に共産党に捕らえられ、11日間牢屋生活をされたが、再臨主が南にいるとの啓示を受けていたので、夜中に脱出し、洪ハルモニの母と三人で38度線の国境まで逃げていった。ところがそのとき、韓国の兵士たちが発砲してきた。すると幼い韓少女が韓国の歌を歌うのを聞いて撃つことをやめたのである。そして北から逃亡してきたことを話すと、「こんなにかわいい子供を連れて苦労してきたでしょう」とあたたかく迎えてくれ、ソウルまでのお金をくれたのである。途中で、主が南韓におられることを知って、道路の上でも、敬拝をしながらソウルへ向かわれた。

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韓 鶴子 夫人

洪ハルモニは、韓夫人が成長するにしたがい、罪に染まらないよう、清く育てるため、済州島に連れて行って生活をされた。それから弟の家のある春川に移り、そこで統一教会に伝道されたのである。洪ハルモニは教会で奉仕の生活をするようになる。

韓夫人が文先生に初めてお会いしたのは14歳の中学校のときであった。

<韓夫人の証>

「当時は母と一緒に入教したばかりだったのですから、1960年に何が起ころうとしていたのか、知る由もありませんでした。初めて先生にお会いしたとき、先生は私をご覧になって、とっさに一瞬目を閉じて黙想された後に、心の中でささやくように言われたのです。『神よ、あなたはこんなにすばらしい女性を韓国にお与えになりました。感謝いたします』と。

「1960年の3月16日の聖婚式の1か月前に、先生が幻に現れて特別 な啓示を与えられたのです。『その日が近づいたから準備をしなさい』と。私はその時、どうして自分にそんなにも大きなことの判断ができるだろうかと思いましたから、無私になる以外にありませんでした。そして、『今でも私はみ意のままに生きてまいりましたが、今神のみ意が何であろうと、神の摂理の目的が何であろうと、私はあなたの僕として、どんなことでもお命じになることに従います』と祈らずにはいられませんでした。」

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父母の日・子女の日・万物の日宣布

「真の父母」がこの地上に確立された1960年3月27日(陰暦3月1日)に「父母の日」が宣布され、4月11日(陰暦3月16日には文鮮明先生と韓鶴子夫人の聖婚式が挙行された。

11月には「子女の日」が宣布された。すなわち真の父母がこの地上に立つことによって、堕落人間が神の子女として新生する道が開かれた。さらに真の父母と真の子女が一体となって、神の愛で人間が万物を主管できる時を迎えたため、1963年7月には「万物の日」が宣布された。これらの勝利的土台の上で、1965年1月から1966年1月まで、世界の40か国を訪問し、120か所の聖地を決定して、真の家庭を中心として勝利された基盤を世界に連結させた。

真の父母と真の子女と万物が一体となった土台の上で、この地上に神が臨在することができるようになった。

遂に1968年1月1日に「神の日」が宣布された。

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人類への神の祝福

文先生ご夫妻が、真の父母として立たれ、サタンの血統である人間が、神の子女として新生する道が開かれ、神によって祝福された家庭がこの地上に繁殖していくようになった。 1960年4月には3組、1961年5月に33組、1962年6月に72組、1963年7月には124組の祝福が成された。

3組

33組

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1968.1.1 神の日

生めよ

長子権

アダム

エバ

父母の日

メシヤ

真の父

真の母

偽り父

偽り母

真の父

真の母

祝福

ふえよ

真の子女

偽りの子女

真の子女

父母権

子女の日

神の血統

サタンの血統

家庭、国、世界

家庭、国、世界

家庭、国、世界

治めよ

万物の日

王権

万物世界

万物世界

万物世界

創造理想世界

堕落世界

復帰摂理完成

三大祝福

三権復帰

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世界巡回路程

1965年1月~ 第一次世界巡回路程(120カ国)

1962年5月 リトルエンジェルス結成1965年6月 アイゼンハワーと会見1966年5月 初版原理講論

21年ぶりに御来日 聖日礼拝

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日本宣教

1958年7月 崔奉春(西川勝)宣教師日本へ

1959年10月2日 日本統一教会創立

            (4名の礼拝から出発)

1960年8月 松本道子女史ら 開拓伝道

             ↓

全国に伝道推進 多くの青年たちが入教

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御来日

1965年1月 文鮮明先生来日 世界巡回

1967年6月 再来日(上写真は羽田空港)

立正佼成会会長秘書の久保木修己氏が献身 1964年会長就任

  宝塚聖地決定

  廃品回収

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摂理国家日本(エバ国)へ

1969年5月1日12組祝福結婚式

 1973年11月教会本部で 岸元首相と

1972年 狭山公園

1974年5月希望の日晩餐会