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大英帝国の成立と衰退. 07E082 大岩英人. 目次 Ⅰ : 貿易 と植民地政府への 投資 1 : 1 イギリスの資本輸出 1 : 2 イギリス最大の植民地インドの貿易 1 : 3 ;植民地による独占的地位の確立(インド) 大英帝国時代の分布図 Ⅱ ;イギリス経済の 衰退 Ⅲ;ポンド危機. Ⅰ;貿易と植民地政府への投資. 1 : 1 イギリス の資本 輸出 第一 の 条件 イギリス 国際収支の 強 さ 貿易外 収支の黒字が貿易収支の赤字を相殺してなお余りあり、経常勘定ではかなりの受取超過の状態であったことである 。
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大英帝国の成立と衰退 07E082 大岩英人
目次 Ⅰ:貿易と植民地政府への投資 1:1イギリスの資本輸出 1:2イギリス最大の植民地インドの貿易 1:3;植民地による独占的地位の確立(インド) 大英帝国時代の分布図 Ⅱ;イギリス経済の衰退 Ⅲ;ポンド危機
Ⅰ;貿易と植民地政府への投資 1:1イギリスの資本輸出 第一の条件 イギリス国際収支の強さ貿易外収支の黒字が貿易収支の赤字を相殺してなお余りあり、経常勘定ではかなりの受取超過の状態であったことである。 しかし1930年代には、貿易外収支の黒字が減少して貿易赤字を埋め合わせることができなくなる。 結果 短期資本の流入をはかる 対外準備金の損失と通貨価値の下落の食い止め 第二の条件 世界貿易の多角的決済1930年にイギリスと大英帝国との関係が強化されると、イギリスの対カナダ、オーストラリア、インドとの貿易赤字が増加したのに対してヨーロッパやアメリカとの赤字は減少し、双務的決済の傾向が優勢になり連合王国の資本輸出も大幅に減少したのである。
1:2イギリス最大の植民地インドの貿易 インドは19世紀の後半以降第二次世界大戦まで、ほぼすべての年度でかなり大幅な赤字であった。インドはイギリスにおもに原綿を輸出しつつ、おもに綿製品などの工業製品を上回って輸入していた。イギリスにとってインドは1・2を争う輸出相手国であった。イギリスに対する赤字は、アメリカ・日本・ドイツ・フランス等に黒字によって埋め合わされていた。イギリスの経済は、その帝国に深く依存できたために、米・独の工業化との本格的な競争を回避でき、一時的な発展があったが、結局経済力の発展を遅らせた。インドはイギリスとの間の貿易関係があまりにも深かったために、イギリスの地位低下の影響をもろに受けた。植民地支配は、一般的に被支配国の国・個人がその政治・経済活動の自由を奪われることであるが、その結果個々の支配国の政治・経済・社会などの影響を被支配国が強く受けざるをえなかった。
1:3:植民地による独占的地位の確立(インド)1:3:植民地による独占的地位の確立(インド) インドは対イギリス経常収支で大幅な黒字を提供し、それによってイギリス国際収支の安全弁を構成した。1857年から1913年までのインド貿易収支は一貫して黒字であって、対イギリス経常収支の増大する赤字を、工業ヨーロッパ、中国、日本、アメリカ、南米諸国とお貿易収支の増加する黒字で相殺するという構造をもっていた。 このような構造はイギリスがインドの輸出に占める割合を異常なまでに低くし、その輸入に占める割合をできるかぎり高く維持することに努めた植民地支配の結果にほかならない。
1:3植民地による独占的地位の確立(インド)1:3植民地による独占的地位の確立(インド) インドの輸出で綿糸・綿布、黄麻原料・製品、皮革、茶、採油種子、穀類が主要な産品であるが、イギリス市場はインド産品の重要な市場ではなく、インド輸出に占める割合は1870年頃の52%から1900年代の26%まで減少している。他方で、インドの輸入に占めるイギリスの割合は、1870年代末の81%から1900年代の62%まで低下するだけであって、イギリスは鉄道資材、亜鉛鉄板、繊維機械、電気道具等で圧倒的優位を維持し、とりわけランカシャー綿布はインド輸入の約35%を占めてほとんど独占的地位を確立したのである。
Ⅱ:イギリス経済の衰退 イギリス経済の衰退の要因 繊維産業の需要 技術革新 海外への証券投資 海外への証券投資の失敗 イギリスのもつ技術が受け入れ国に移転 大英帝国の利益の優先 スターリング地域の経済的な結びつきの強化 大英帝国の利益の優先 イギリスの衰退
Ⅲ:ポンド危機 このグラフは、1984年から2008年までのポンド危機を表したものです。