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白いバッジ

白いバッジ. 主な登場人物. ハン・キジュ兵長  小説家。朴正煕 暗殺の頃に編集社から、ベトナム戦争の原稿を依頼される。小説発表直後からピョン・ジンスと再びかかわるようになる。. ピョン・ジンス一等兵  ひょうきんな看板職人。ベトナムで、キム伍長に民間人の殺害を強制させられる。それにより決定的な精神的傷害を被る。帰還後しばらくはキム伍長の妹ヨンオクとよい関係を築いていた。しかしベトナムの影から逃れることができず、ついに、ヨンオクから見放されてしまう。. ヨンオク 

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Presentation Transcript


  1. 白いバッジ

  2. 主な登場人物 • ハン・キジュ兵長  小説家。朴正煕 暗殺の頃に編集社から、ベトナム戦争の原稿を依頼される。小説発表直後からピョン・ジンスと再びかかわるようになる。

  3. ピョン・ジンス一等兵  ひょうきんな看板職人。ベトナムで、キム伍長に民間人の殺害を強制させられる。それにより決定的な精神的傷害を被る。帰還後しばらくはキム伍長の妹ヨンオクとよい関係を築いていた。しかしベトナムの影から逃れることができず、ついに、ヨンオクから見放されてしまう。

  4. ヨンオク   キム伍長の妹。ピョン・ジンスの帰還後、献身的に尽くすが、ついに耐え切れなくなり、アメリカ将校と一緒にアメリカに行く。 • キム伍長  たくましく、勇敢な男であったが、その勇敢さからベトナム民間人を殺害する。その罪を分かつためにピョン・ジンス、チョウ・テサムに殺害を強制する。 • チョウ・テサム  あだ名はしゃっくり。繊細な男。キム伍長に殺人を強制されたために精神がおかしくなる。ついにはキム伍長を恨み殺害する。同時に戦地にて失踪。

  5. ストーリー   韓国朴大統領暗殺のニュースが報じられていたころ、ハン・キジュ(アン・ソンギ)は、ベトナム参戦の体験を元にした小説を書いていた。しかし、戦争の記憶を掘り起こすことは、想像以上につらいことであり、何日も筆の進まない日が続くのであった。 そんな時、かつての戦友、ピョン・ジンス(イ・ギョンヨン)から連絡を受ける。

  6. ピョン・ジンスは、自分がいま、ベトナムにいるのか、韓国にいるのか区別がつかない朦朧とした状態で過ごしていた。ピョン・ジンスは、自分がいま、ベトナムにいるのか、韓国にいるのか区別がつかない朦朧とした状態で過ごしていた。 久しぶりに会った旧友の精神的破綻を見ながら、ハン・キジュは戦時中の日々を克明に思い出していく。

  7. ベトナム戦争は、ゲリラと農民の区別が困難であった。それはまさに地獄絵図であり、その混沌とした戦場で兵士は誰しもが精神を病んでいた。ベトナム戦争は、ゲリラと農民の区別が困難であった。それはまさに地獄絵図であり、その混沌とした戦場で兵士は誰しもが精神を病んでいた。

  8. ある日病院からハン・キジュは呼び出されピョン・ジンスを引き取りにくるようにいわれる。ある日病院からハン・キジュは呼び出されピョン・ジンスを引き取りにくるようにいわれる。 その日偶然に、ハン・キジュとピョン・ジンスは民主化運動に巻き込まれる。ハン・キジュはそこで錯乱狂気したピョン・ジンスをなんとか落ち着かせる。 しかし、その直後、ハン・キジュはピョン・ジンスを銃殺し、友の記憶で続いていたベトナム戦争終わらせる。

  9. ベトナム戦争とは • 1960年代初頭から1975年4月30日までベトナムの地で繰り広げられた、南ベトナムと北ベトナムとの武力衝突です。 • 南ベトナムを支援したアメリカと、北ベトナムを支援したソ連、中国との政治戦略的な戦争です。 • アメリカは、3代の大統領が関与し、国の威信をかけて挑んだ戦争でした。 • アメリカからの経済援助とひきかえに韓国、タイ、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピンから兵士が送り込まれました。 • 犠牲は大きく、アメリカ軍で、5万8千人以上の戦死者を出しました。南北ベトナム人民に至っては200万近い人が犠牲になったといわれています。

  10. ベトナム戦争の特徴 • 戦争の前線が存在しなかったことが上げられます。北緯17度線上にDMZ(DeMilitary Zone)が設定されていましたが、戦闘は南ベトナム領内のあちこちで発生しました。 • 北ベトナム側は、”南ベトナム解放民族戦線(NLF)”を中心に南ベトナム領土内でゲリラ戦を展開していました。前線のアメリカ兵はゲリラを恐れ、戦力を喪失し、軍隊の士気の低下を招きました。

  11. 【サイゴン陥落のとき】1975年4月1日南ベトナムが北の解放勢力に屈しようとしていたとき、米軍基地には国外脱出を望む市民が大勢押し寄せていた。しかし、飛行機はたちまち定員オーバーとなり、米国政府職員は乗り込もうとする市民らを何度も殴りつけている。この飛行機が離陸後、南ベトナムは無条件降伏し、ベトナム戦争は終結した。【サイゴン陥落のとき】1975年4月1日南ベトナムが北の解放勢力に屈しようとしていたとき、米軍基地には国外脱出を望む市民が大勢押し寄せていた。しかし、飛行機はたちまち定員オーバーとなり、米国政府職員は乗り込もうとする市民らを何度も殴りつけている。この飛行機が離陸後、南ベトナムは無条件降伏し、ベトナム戦争は終結した。

  12. 1975年3月以降、サイゴン陥落までの北ベトナム軍の攻撃の経緯を表した地図1975年3月以降、サイゴン陥落までの北ベトナム軍の攻撃の経緯を表した地図

  13. ベトナム戦争と韓国 • ベトナム戦争での韓国軍 韓国はほとんどその詳細な情報を出さないが、はるか後に国部が公にした数字では、31万人強の軍隊を送り、5000人ほどがその犠牲となっている後の全斗煥元大統領は、ベトナム派遣韓国軍の強力な部隊の指揮者だったのではないかと伝えられる。 期間 1964.9.22──1975.4.30 •    派遣された兵力 312,853人(延べ)    戦死者     4,624人    殉職者      104人    単純死亡者    160人    その他       63人    死者合計    4,951人    行方不明者     3人              (国防部)

  14. 一九六六年末の南ベトナムにいる韓国軍部隊は歩兵二個師団(猛虎、白馬)、海兵旅団(青竜)、補給旅団(南十字星)、それに若干の工兵隊を含めた四万五〇〇〇人であった。一九六六年末の南ベトナムにいる韓国軍部隊は歩兵二個師団(猛虎、白馬)、海兵旅団(青竜)、補給旅団(南十字星)、それに若干の工兵隊を含めた四万五〇〇〇人であった。

  15. 韓国側は「正義」を振りかざさざるをえなかったが、「他人の喧嘩に口出しするな」というベトナム側との認識の差は大きかった。韓国側は「正義」を振りかざさざるをえなかったが、「他人の喧嘩に口出しするな」というベトナム側との認識の差は大きかった。 ベトナムから見るならば、米国からの援助ほしさに縁もゆかりもない国に派兵してきた韓国に対する、同じアジア人、同じ南北分断国家に住む者としての近親憎悪があったという指摘もある。

  16. ベトナム戦争と韓国経済 南ベトナムには韓国軍のほかに六七、八年には二万近い韓国の民間人が出かせぎに来ていた。韓国人にとって南ベトナムは初めての海外進出の舞台だった。 1990年代半ば。韓国企業が怒涛のごとく押し寄せベトナムに工場を作った。韓国系工場と現地住民の間で労働紛争が問題になった。

  17. アメリカは派遣されたすべての韓国兵に戦闘手当てを支払い、その大半は韓国本国へ送金された。これらを含む、アメリカからのベトナム特需の総額は十億ドル(当時で三千六百億円)をはるかに上回る利益を上げたとする説もある。アメリカは派遣されたすべての韓国兵に戦闘手当てを支払い、その大半は韓国本国へ送金された。これらを含む、アメリカからのベトナム特需の総額は十億ドル(当時で三千六百億円)をはるかに上回る利益を上げたとする説もある。

  18. 北ベトナムについて • 北ベトナムを支援した国家、軍隊 中国人民解放軍 ベトナム戦争当時は全く知られていなかったが中国は北ベトナムの要請を受けて大量の部隊を派遣していた。1965年5月頃から送られていた解放軍は73年まで駐留しその規模は当時の軍部の予想を遙かに上回る規模であった。解放軍は陸海空すべての軍をベトナムに派遣した。派遣された軍の規模については下表を参照。延べ兵員は15万名、最盛期には5万名が駐留している。多くは北ベトナム領内での激しい対空戦を行ったため人的損害は大きく戦死1142名、負傷4200名を出した。これら大規模中国軍の駐留を西側各国が知ったのは1980年代の事であった。また中国は北ベトナムへの軍事物資を支援しており、これはソビエト連邦が中国に資金を流しベトナムに近い中国で兵器を生産、輸送するといったものであった。主な輸送路は海上輸送であったが、アメリカ軍のトンキン湾での海上封鎖は遅れ結果的に多くの物資を北ベトナムに渡してしまった。このため多くの解放戦線、NVAの兵器は中国軍のものであった。

  19. ソビエト連邦軍 ソ連軍は実際の戦闘には参加していないとされるが、当時北ベトナムには6000~8000名の軍事顧問を北ベトナムに派遣していた。彼らの主な任務はSA2対空ミサイルとレーダー、各電子戦装置の取り扱いの指導、MiG戦闘機の操縦訓練であった。またアメリカ軍の北爆に対する軍事調査、各種秘密工作も担当していたものと推察される。戦時中に参加したソ連兵の内82名が戦死、病死、事故死などの理由で死亡したとされているが、詳細は定かではない。

  20. 解釈【耳】 • ピョン・ジンスは、キム伍長が耳を切られた状態で殺されていたのを見て【耳がない=死】という構図がすり込まれます。 • 帰還後、彼はベトナムの【記憶】にさいなまれていました。(生存への本能) と(死への衝動)が同居していました。 • (生存への本能)から拳銃を所持します。しかし(死への衝動)を抑えきれなくなり、ハン・キジュに保管してもらいます。

  21. 解釈【耳】 • 安心して暮らせると無意識下に思ったのでしょうか。彼は耳を切り取ってしまいます。【耳がない=死】という構図から脱却できるからです。 • しかし病院を出た直後に学生運動に巻きこなれてベトナムの【記憶】が彼を襲います。 • 【耳】や拳銃という有形が彼を苦しめたのではなく、無形の【記憶】が彼を苦しめていました。 • ハン・キジュは、このような彼をみて、苦悩を終わらせる唯一の方法は【記憶】を消す事だと思い、銃殺に至ります。

  22. 感想 • ピョン・ジンスの「人を殺した恐怖」からくる罪の意識(また、それに伴う苦悩)は、たった一人の上官の命令により民間人を殺したために、起こりました。 • もし、集団の正当性が「ゲリラをかくまう民間人も殺すこと」ということにあるとすれば彼の行為は、正当化されているために罪悪感は軽かったかもしれません。

  23. 感想 • しかし、正当性があっても、それが日常で犯されるなら「殺人」です。ありとあらゆる殺人、暴力は罪(の意識)を免れ得ないと思います。もしも暴力が、正当化できるならば、それは、正義という名の免罪符をどこからか、もらってくることに他ならないのではないかと思いました。

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