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新聞(1): 新聞産業の歴史的変遷と特質. 1. 新聞の歴史的変遷 2. 新聞産業の特質 3. 参考文献. Q1 :ニュースはどのような手段で入手していますか? Q2: 新聞を読む頻度はどのくらいですか? Q3: これから新聞はどうなると思いますか?. 1. 新聞の歴史的変遷. (1)近代的新聞が登場するまで 15世紀 ・グーテンベルクによる活版印刷術 (1450 年頃 ) →大量印刷による近代的新聞の誕生 = マスメディア新聞 ・地中海貿易の繁栄による情報交換 →遠い地での出来事が伝えられる
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新聞(1):新聞産業の歴史的変遷と特質 1.新聞の歴史的変遷 2.新聞産業の特質 3.参考文献
Q1:ニュースはどのような手段で入手していますか?Q1:ニュースはどのような手段で入手していますか? Q2:新聞を読む頻度はどのくらいですか? Q3:これから新聞はどうなると思いますか?
1.新聞の歴史的変遷 (1)近代的新聞が登場するまで 15世紀 ・グーテンベルクによる活版印刷術(1450年頃) →大量印刷による近代的新聞の誕生 =マスメディア新聞 ・地中海貿易の繁栄による情報交換 →遠い地での出来事が伝えられる e.g.ドイツの「フルッグブラット(Flugblatt)」 書簡新聞である「ガゼット(Gazette)」
18世紀 ・イギリスで今日の新聞の原型が発達18世紀 ・イギリスで今日の新聞の原型が発達 日刊紙、言論の自由、広告媒体機能 →「デイリー・クーラント」(1702年) 新聞ジャーナリズム(不偏不党のニュース配信) →「ザ・タイムズ」(1785年) 「ガーディアン」(1821年) 19世紀 ・ケーニッヒがシリンダー印刷機を発明(1811年) →マス・コミュニケーションとしての新聞誕生
なぜ近代的新聞が誕生したのか? ①情報の需要 ←情報・ニュースの商品価値 ②新興市民階級の武器(市民の言論の場) ←絶対主義政治下での弾圧・検閲他
(2)日本の新聞 a.新聞の誕生 「かわら版」は豊臣時代より存在。 + 新聞制作の技術(オランダ人より) 鎖国を打ち破る外圧(黒船来航) →海外・西洋の情報収集に力を入れる 1855(安政2) 洋学所→蕃書調所 1860(万延元) 書記方(海外新聞の翻訳担当) 活字方(印刷出版担当) ⇒「マス・メディアとしての新聞」=西欧文明の道具
1862(文久2)「官板バタヒヤ新聞」(ジャワのオラ ンダ語新聞の翻訳版)=日本の新聞第1号1862(文久2)「官板バタヒヤ新聞」(ジャワのオラ ンダ語新聞の翻訳版)=日本の新聞第1号 同時期、「官板海外新聞」「官板中外新報」「ジャ パン・ヘラルド」などの在留外国人による英 語新聞が発行された。 1865(慶應元)「海外新聞」が発行された 邦字第1号の新聞で横浜の浜田彦蔵(ジョゼ フ・ヒコ)によるもの 1870(明治3) 日刊紙第1号の「横浜毎日新聞」 1872(明治5) 「東京日日新聞」(現・毎日新聞) 「日新真事誌」「郵便報知新聞」 ⇒新聞時代の幕開け
b.新聞の発展 自由民権運動の中で政論新聞が次々に誕生。 政党の誕生により新聞が機関紙化。 e.g.自由党系:「自由新聞」「朝野新聞」 改進党系:「郵便報知新聞」「東京横浜毎日新聞」 帝政党系:「東京日日新聞」 ⇒新聞=政争の道具 自由民権運動下では、「讒謗律」、言論抑圧4法(新聞紙条例他)が制定され、政府に批判的な言論が弾圧された。
そんな中、 「朝日新聞」(1879、明治12創刊、後に「大阪朝日新聞」と改称)は、報道、ニュース中心の中立的な新聞へと発展。 政治色を排した福沢諭吉の「時事新報」(1882、明治15)が誕生。 西欧文明の流入に反対する陸羯南の「日本」(1889、明治22) 「平民主義」を唱えた徳富蘇峰の「国民新聞」(1890、明治23) といった新聞が生まれた。
c.日清・日露戦争と新聞 戦争により貧富の差が拡大→ペニー・ペーパー登場 e.g. 「萬朝報」「二六新報」 明治30年代(20世紀)には、新聞は近代化 発行部数の増大、販売競争の激化、 輪転機による印刷、多色刷り、広告の増加 海外の情報を入手・発信 日露戦争により全国紙へと発展した新聞は、 「大阪朝日」「大阪毎日」
d.大正期の新聞 新聞は大正デモクラシーの担い手。 藩閥政治の矛盾を追及、民衆の言論機関となった。 しかし、1918年「白虹事件」が起きた。新聞への言論弾圧が始まり、新聞社が一丸となって反政府キャンペーンを行うことはなくなった。 経営的には、新聞社の企業(株式会社)化も進んだ。 海外特派員を出す新聞社も増加した。 →ニュースや速報性が重視されるようになった。
e.関東大震災(1923年)の打撃 東京の新聞社のほとんどは被災し、大打撃を被った。 資本力の差がその後の再建の成否を分けた。 東京紙の中で唯一生き残った「読売新聞」は正力松太郎の経営で部数を増やしていった。 f.軍国主義時代の新聞 1930年代には、軍国主義、ファシズムが台頭し、新聞への圧力が高まった。 新聞が言論機関として機能することはほとんどなく、軍部の暴走を容認し、支持し続けた。
1940年には「1県1紙」方針が政府により打ち出され、新聞統合が進められた。 1940年には「1県1紙」方針が政府により打ち出され、新聞統合が進められた。 戦時下において、新聞における言論の自由は完全に封殺され、「国営新聞」と化した。 1941年には「日本新聞連盟」(翌年には「日本新聞協会」)が成立し、「国家総動員法」により新聞事業の全てが政府に統制されるようになった。 戦争中は「大本営発表」以外は一切書けない状態となり、物資不足から1944年3月からは夕刊も廃止され、新聞は“死んだ”も同然となった。
g.GHQ(連合国軍総司令部)占領下の新聞 GHQにより言論の自由は回復された。 しかし、GHQは10ヵ条からなるプレス・コードを発表し、占領政策の批判などに対しては厳しい検閲・統制を実施した。 戦後の新聞は“反省”からスタートした。 →戦争責任の追及、社内民主化運動 朝鮮戦争勃発時には、レッドパージが行われた。 共産主義(者)の追放で、共産党系の新聞、雑誌は発行停止処分、共産党員とその同調者はマスコミから追放された。
h.60年安保闘争で再び死んだ新聞 1960年安保闘争が起こった。 日米間の安全保障条約の改定をめぐり、日本国内には学生を中心に反対運動が起こっていた。 学生のデモ隊と機動隊との闘争も起こり、流血の惨事も起こった。樺美智子氏死去。 結局、6月17日の新聞で在京7社は全学連を批判する共同宣言を記載し、政府を擁護する立場をとった。 i.ベトナム戦争での日本の新聞 アメリカの侵略の実態を世界に告発。 e.g.「泥と炎のインドシナ」(「毎日」) 「戦場の村」(「朝日」本多勝一)
j.テレビに取って代わられる新聞 テレビの登場(1953年)とともに、マス・メディアの主役であった新聞の立場は変わっていった。 1959年の「皇太子ご成婚」をきっかけに、テレビ受像機の普及は加速し、1964年の東京オリンピックのころには、まさにテレビ時代となった。 1973年の第1次石油ショック時には、新聞産業の成長はストップし、販売部数の減少による倒産(「毎日」)、タブロイド紙の発行などもみられるようになった。 しかし、徹底した取材によるスクープ報道(e.g.「リクルート事件」の報道)は、現在でも続いており、高く評価されている。
k.技術革新と新聞 1970年代、コンピュータの技術革新により、新聞の制作過程は大きく変化。 →鉛活字・活版工程からCTS (Computerized Typesetting System)へ。 1990年代にはニュースをテレビで見る時代となった。 →テレビ界における「ニュース戦争」 その一方で、新聞は圧倒的な取材力と情報量を生かして、「総合情報産業」への脱皮を目指している。
2.新聞産業の特質 (1)企業である新聞社 日本の新聞社のほとんどは株式会社。 →ジャーナリズム活動(社会・政治・経済・文化などに ついて時事的な報道・分析・解説・主張を提供する) =公共の利益のために行われる非営利的活動。 →株主のために利益追求活動を行う。 ゆえに、新聞社は公共性と企業性という2つの相反する価値を追求している。 近代的な経営システムを取り入れることによって、大衆向けには安価で新聞を販売し、収入の不足分を広告で補っている。
(2)新聞産業の構造的特質 a.規模 日本には1,064の新聞企業、1,803の新聞事業所がある。うち、110社が新聞協会に加盟。 売上高は、100社合計で2兆2,979億円。 従業員数は、新聞産業全体で5万7,105人(106社合計)。 以上の数字は、大手新聞社と零細新聞社とでは雲泥の差。企業規模の格差は、全国紙、ブロック紙、県紙、地域紙といった呼称と対応。
(3)新聞産業の収支構造 a.新聞社の収入源 「販売収入」:読者からの購読料 比較的安定した収入である。 「広告収入」:広告主(企業)からの収入 不安定な収入源である。 「その他」:出版、データベース、インターネット、などか らの事業収入。
b.新聞社の支出(費用) 「用紙費」:15.5% 「人件費」:28.3% 「資材費」:1.9% 「経費」-「制作経費」:22.0% 「営業経費」:23.7% 「一般管理費」:8.7% 近年では「営業経費」「制作経費」が増加。
(4)新聞産業の今日的課題 日本の新聞市場は、“飽和化”“成熟化”の段階にある。 長期不況の影響もある。 ①販売店間の競争 戸別配達制度が発達している日本では、原則として「クローズド・テリトリー制」をとっている。 他紙の読者を獲得することが、販売店の生き残りにつながる。 ②メディアの多様化の影響 若者の新聞離れ 広告媒体としての価値低下
b.新聞産業の競争相手 新聞産業の競争要因は、①受け手の関心と②販売部数である。 ①受け手の関心を引く内容を新聞がどれほど提供できるかが問題。競争相手は、ラジオ、テレビ、新聞、インターネットなどの他メディアである。 ②販売部数は新聞産業内部での競争であり、シェアの奪い合いである。販売部数は広告の到達指標を意味するので、これが大きいと広告も獲得しやすい。 概してこれらの競争において優位な立場にあるのは、資本、人材、技術、ブランド、流通網において豊かな経営資源を持っている企業である。
3.参考文献 天野勝文・松岡新兒・植田康夫(編著)(2004) 新現代マスコミ論のポイント 学文社 前坂俊之 (1991) 言論死して国ついに亡ぶ-戦争と新聞 1936-1945 社会思想社 山口功二・渡辺武達・岡満男(編)(2001) メディア学の現在(改訂版) 世界思想社 山本文雄(編)(1981) 日本マス・コミュニケーション史(増補) 東海大学出版会