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鉛筆ができるまで (写真は Keswick の鉛筆博物館)

鉛筆ができるまで (写真は Keswick の鉛筆博物館). 【 鉛筆の歴史 】 ーボロウデール産の黒鉛の使い道ー. 16 世紀の後半には、フランダースの商人が鉛筆用としてボロウデール産黒鉛を欧州で販売(ミケランジェロ芸術学校など)。 次第に、採掘された黒鉛の大半が大砲の鋳型作成に利用されるようになり、武装馬車でロンドンタワー(当時は兵器庫)まで輸送された( 1680 年には、英国政府は鉛筆への使用を制限した)。 1751 年に、盗難黒鉛の輸送を禁止する法案が英国議会で承認。 ※ 当時の黒鉛はブラックマーケット(闇市場)において高値で取引されており、強盗や泥棒なども多かった。

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鉛筆ができるまで (写真は Keswick の鉛筆博物館)

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  1. 鉛筆ができるまで(写真はKeswickの鉛筆博物館)鉛筆ができるまで(写真はKeswickの鉛筆博物館)

  2. 【鉛筆の歴史】ーボロウデール産の黒鉛の使い道ー【鉛筆の歴史】ーボロウデール産の黒鉛の使い道ー • 16世紀の後半には、フランダースの商人が鉛筆用としてボロウデール産黒鉛を欧州で販売(ミケランジェロ芸術学校など)。 • 次第に、採掘された黒鉛の大半が大砲の鋳型作成に利用されるようになり、武装馬車でロンドンタワー(当時は兵器庫)まで輸送された(1680年には、英国政府は鉛筆への使用を制限した)。 • 1751年に、盗難黒鉛の輸送を禁止する法案が英国議会で承認。 ※当時の黒鉛はブラックマーケット(闇市場)において高値で取引されており、強盗や泥棒なども多かった。 ※発掘後に捨てられた塊や廃棄物などから黒鉛を見つけ出し、違法に転売(密輸)するものが出現した。それで有名であったのが、ベルギーのFlemish(フランダース)の商人であった。海岸に船を停泊させ、そこまで馬車に隠して運んだ。 • その他に、減摩剤(機械内での接触から生じる摩擦を減らす物質)や医療用としても活用されており、鉛筆用には僅かしか利用できなかった。

  3. 採掘現場の付近

  4. ケズウィックの町からボロウデールへ

  5. ケズウィックの中心部

  6. 【鉛筆の歴史】ー世界最初の鉛筆ー • 鉛筆に使用できる黒鉛は僅かであった。 • 細かく切ったり、 • 握りの部分をヒモで巻いたり、 • 黒鉛を板状か棒状に削り、板にはめ込んだり、               して筆記具として使っていた。 • 木材は南米から輸入し、Keswickの工場で生産していた。

  7. 鉛筆職人の仕事

  8. 【鉛筆の歴史】-工場での鉛筆生産の始まり-【鉛筆の歴史】-工場での鉛筆生産の始まり- • 1760年にカスパー・ファーバー(家具職人)というドイツ人が黒鉛の粉を硫黄などを混合し、焼き固めた芯を作成した。 • 1761年には鉛筆を販売した(鉛筆職人へ)。 ※芯には改良の余地が多分に残されていた。

  9. 【鉛筆の歴史】-芯加工の始まり(ボロウデール黒鉛が優位性を失う)-【鉛筆の歴史】-芯加工の始まり(ボロウデール黒鉛が優位性を失う)- • 1760年にカスパー・ファーバーというドイツ人が黒鉛の粉を硫黄などを混合し、焼き固めた芯を作成した。1761年には鉛筆を販売した(家具職人⇒鉛筆職人へ)。 • 1795年にニコラス・ジャック・コンテというフランス人が硫黄の代わりに粘土に黒鉛を利用した。さらに、粘土の混合の比率を変えれば芯の硬度が変化することを発見した(現在でも、この方法で鉛筆の芯は作成)。 ※フランス革命戦争(1972~1802年):対仏大同盟との戦いで、イギリスからフランスへの黒鉛の輸出がストップした。フランスが国産化に向けて努力を開始した。 • 1832年加工した(人口)芯を用いた工場(1916年にCumberland Pencil Co.に名称変更)が設立された。その後も、オーナーは次々変わった。 • 1838年頃から伝統的な製法や近代的な製法を取り入れたメーカーが多数出現。

  10. 【鉛筆の歴史】-木材についてー 鉛筆に適している木の特徴は? • きめが細かい(持ちやすい) • ある程度柔らかい(削れる) • ふしがない(強度が増し、無駄がない) • 木目がまっすぐ(強度が増し、加工しやすい) • 安く手に入る(送料込み) • 大量に存在(成長に数十年要する) ※昔は、アメリカ・カリフォルニア州のシエラ・ネバダ山中に育つヒノキの一種のインセンスシダーを使用していた。

  11. 【鉛筆の歴史】-スラット(板)についてー 木材をどのように運ぶ? • 伐採した状態? • スラット(板)に加工後? ※木材の輸送コストと加工技術によって、異なる。 ※伐採したままの状態では、輸送する際にスペースに無駄が生じ、輸送中の事故が心配。 ※現在は、山の中で伐採後、近くの製材所でスラットに加工して運送する。

  12. クイズ 直径2メートル、高さ20メートルから何本鉛筆ができるでしょうか? ア)10万本以下    イ)10~50万本  ウ)50~100万本  エ)100万本以上 答え)75万から80万本の鉛筆がとれます。 スラットは幅70ミリ、厚さ5ミリなので、 √2=1.4m 20 スラットは縦100枚とれる 140 計算上は、鉛筆 140×20×100×9=2520000 はできるはず。

  13. 【鉛筆工場立地(ボロウデール黒鉛が独占状態時)】【鉛筆工場立地(ボロウデール黒鉛が独占状態時)】 ボロウデール ケズウィック 木材は南米から欧州に輸入(海運技術進展) ニュールンベルク 黒鉛を輸入し、木材と組み合 わせ、鉛筆の商品化に成功

  14. 鉛筆の芯の材料 鉛筆の芯は、黒鉛と粘土で作られる。粘土が多くなるにつれて芯は硬くなる。黒鉛と粘土の割合で、HやHBなどに分かれている。

  15. 原料(黒鉛と粘土)に水を加えて、ミキサーで細かくし、よく混ぜて練り合わせる。原料(黒鉛と粘土)に水を加えて、ミキサーで細かくし、よく混ぜて練り合わせる。 芯の材料の混ぜ合わせ

  16. 芯の塊(直径10.5センチ、長さ35センチ) 練り合わせたものに圧力を加えて丸い筒の形に圧縮する。

  17. 丸い筒形になった原料を芯の太さに押し出し、20センチほどに切りそろえる(その時、芯はまだ柔らかい)。丸い筒形になった原料を芯の太さに押し出し、20センチほどに切りそろえる(その時、芯はまだ柔らかい)。 芯の大きさに加工

  18. 乾燥機で乾かしたのち、丸い容器に入れ、1000℃~1200℃の炉で焼き固める。 芯を焼き固める

  19. 芯に熱い油をしみこませ、ゆっくり冷ましてできあがり。 芯の滑りを良くする

  20. スラットに芯を組み合わせ 溝付板 芯はめ込み 重ね合わせ 6角形に 分離

  21. スラットに加工 幅70ミリ 長さ185ミリ 厚さ5ミリ 断面図

  22. スラットに9本の溝を掘る 断面図 ※1850年代にはWilliam Monroe(米国人技師)がスラットに溝(芯をはめる)を掘る機械を発明。

  23. 接着剤の塗られた溝に芯を乗せる 断面図 もう1枚のスラットを重ねて、はり合わせる。

  24. 上下の面を鉛筆の形に削る 断面図 鉛筆に6角形の訳は? 転がらないようにするため、持ちやすくするため。

  25. 鉛筆の仕上げ • 一本一本切り離す。 • 機械で塗料を何度も塗ってきれいにする。 • 両端を切り落とし、文字などを入れる。

  26. 1ダースずつ機械で箱詰め

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