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精神分析運動. 1907 年 3 月 ユングとルードリッヒ・ビンスワンガーがフロイトに面会に来る 1908 年第一回精神分析会議 (ザルツブルグ) 1909 年第二回精神分析国際会議 (ニュルンベルグ) → 精神 分析協会創設. 精神分析運動の多元化. 1911 年 6 月 アドラーの離脱 1912 年 10 月 シュテーケルの離脱 ユングの離脱( 『 トーテムとタブー 』 ) 1914年 7月 第一次世界大戦 『 精神分析入門 』 大学での最終講義
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精神分析運動 1907年 3月 ユングとルードリッヒ・ビンスワンガーがフロイトに面会に来る 1908年第一回精神分析会議 (ザルツブルグ) 1909年第二回精神分析国際会議 (ニュルンベルグ) → 精神分析協会創設
精神分析運動の多元化 1911年 6月 アドラーの離脱 1912年10月 シュテーケルの離脱 ユングの離脱(『トーテムとタブー』) 1914年 7月 第一次世界大戦 『精神分析入門』大学での最終講義 アンナの分析(18年) 1920年 正式教授 およびワグナー=ヤウレック裁判 (戦争神経症についての議論) 1923年 フロイトのガンが発覚、ソフィーの死
ミケランジェロのモーゼ(1914)モーゼと一神教(1938)ミケランジェロのモーゼ(1914)モーゼと一神教(1938) • 怒りを抑える姿(1914) →バルマリらの議論あるいは「エディプスからモーゼ」 「モーゼと一神教」(1938) • 原父=厳父の戒律 • モーゼ=厳父の殺害、息子たちの罪意識 • 新しい父親=指導者のもと、罪の潜在化 • 罪悪感の高まりとモーゼ=厳父の崇拝 • ユダヤ的戒律主義
訓練(教育)分析の始まり • フロイトがユングの前で倒れたこと アメリカ講演の船の上でユングはフロイトに自分のことを他人に語らないことを責めた。→フロイト発作 ユングの提案:すべての分析家は分析を受けること
1918年の提案 • 1918年のブタペスト大会:ナンバーグによって教育分析の提案が行われ、オットー・ランクとタウスクの強力な反対にあって、否決された。 ランクとタウスクの反論の意図は不明であるが、提案が採択されるのは1926年になってからである。
1918から26年に起きたこと • 娘アンナの分析1918、1924年 娘の心配をする父親 • ガンの発見1923年 誰が精神分析家になるかについての決定 • 弟子ランクの離反1925年 最愛の息子の離反 • メタ心理学の構築の失敗から新理論
精神分析という教義の意義 • 理論としての精神分析が生き残る • 訓練と研究所のシステムが生き残る • セミナー • 統制分析 • 訓練分析
ブラザー・アニマル(タウスク問題) • タウスク(1879-1919)とフロイトとドイッチェの間、そしてサロメとの間に起きたことは、フロイトとユングの『秘密のシンメトリー』と同じ問題をはらんでいる。
精神分析が性格分析=長期化 ライヒらの性格分析によって、私たちの心の基盤を分析する必要性が実感されてきた。 普通の分析つまり神経症的な傾向の分析ではなく、性格分析 「深層」(Heimann)、「超治療」(バリント) 「性格分析」(ギテルソン) →転移の分析から人格の問題に触れる必要性を感じる人たちがいた。
教育と陶冶の視点 • 教育における二つの視点 1.マニュアルを使った基準化、標準化された教育方法 2.人格を変化させるための陶冶としての教育=人生全般の変化を伴う ギリシャ以後、これらの二つの視点のうち、2が伝統的、3が近代的とみなされているが、それぞれの局として描かれてきた。
実施技能なのか、人格陶冶なのか • どういう人が、人と関わることができるのかということが大きな問題になってきた。 →査定面接という発想 =訓練分析が先か、職業的な技能訓練が先か、という問題 実際には、心理療法の訓練が技能的に先行して、分析を受けるようになる人が多い。
訓練分析および個人分析 • 訓練分析 週四回以上、国際精神分析協会で決められた基準 • 教育分析:その一般通称 • 個人分析:週一回から二回の心理療法の基本としたもの
候補生、あるいは研修生 • 日本精神分析学会における特殊性(古澤、小此木、西園、そして現代への流れ) 学会はスーパーヴィジョン中心 協会は訓練分析中心の二層性 • 精神分析がしだいに性格分析的になっていった経緯と教育分析の意味の変化
Balint(1949)の分類 第一期:1918ブタペスト大会、1920年ベルリン研究所の開設 第二期 1920から1938年ごろまで 精神分析の評判が高くなってから、フロイトの死まで:非医師問題 第三期 1937年米国研究所の独立から今日まで
性格分析 普通の分析つまり神経症的な傾向の分析ではなく、性格分析 「深層」(Heimann)、「超治療」(バリント) 「性格分析」(ギテルソン) →転移の分析から人格の問題に
Instututeの形成 • アブラハムが訓練のための研究と実践のための期間をベルリンに作った。1920年代からクリニックを作り、そこで精神分析家を育てた。
日本のInstituteの構成 • 日本では矢部、丸山、大槻といった先駆者たちが、フロイトとの交流で研究所を二つ作った。 • その後日本では古澤平作、小此木啓吾によって日本精神分析学会が形成されたが、同時にそれは国際精神分析協会の一部である、日本精神分析協会を含んでいた。
訓練の姿=信念と愛 R.Ekstein(1953) 1.精神分析的トレーニングの歴史について フロイト「自身も受けた人が集まる」 でも去っていく人も多い。 ⇒サークルの形成「リングを持つ人たち」 →中央委員会 1920年代 「分析を受ける」「健康なら受けなくてもよい」の間 例外:アメリカでの専門化⇒力動精神医学 (1)優れた訓練形式を維持する (2)研究方法と臨床技法との両立を守るための困難を回避する (3)他の社会科学や生物学と十分に密な関係を確立する
2.候補生の選択 分析可能性ほかの議論と確立されてきた人格査定を含むメニンガーのようなシステム ⇒精神的なものへの興味:客観的には人間理解、主観的には自分の病気⇒ ①訓練分析 ②統制分析 ③セミナー 3.訓練分析:分析を通しておきること:自分の人生を振り返る⇒転移を体験する⇒逆転移を理解する
4.統制分析(指導分析) 分析している人のスーパーヴィジョン 5.研究と応用のための精神分析的トレーニング 6.研究所と伝統的学習センター 7.訓練分析と精神分析の未来 :精神分析を長期の統制された訓練と指導の結果生み出される特定の技術と特定の人間理解の方法であると考える。
訓練分析と心理療法 • 精神分析と精神療法は異なる Wallerstein(1982)のそれぞれの論考 1979年のトレーニング会議 Sandler vs Zimmerman • 精神分析は治療と異なる何かをもたらすという発想の根拠 =自由連想法と毎日分析という枠組みと転移の全体的分析(分析の長期化をもたらす結果)
精神分析の発展 • 転移神経症の解消 転移のなかで関係を操作する可能性が出てくる。 • 神経症の理論から性格分析へ 障害はより性格神経症、障害のように関係性の歴史を反映したものになっていった。 • 転移の理論から逆転移の理論へと発展
逆転移の歴史的文脈から a. S.Freud(1910) →治療者の無意識の感情のクライエントへの悪影響 b. M.Balint,A.Reichら →転移反応に対する逆転移を指摘 D.W.Winnicott(1958) 「逆転移のなかでの憎しみ」=客観的な逆転移 c. P.Heimann(1950) →分析の道具としての逆転移の感情を指摘。 d. B.Joseph,W.Bion以降 →投影同一化の受け皿としての逆転移
逆転移と投影性同一視から相互投影とスーパーヴァイザーとしての患者逆転移と投影性同一視から相互投影とスーパーヴァイザーとしての患者 1.投影性同一視の問題点 治療者の間違いを患者の病理に還元してしまう=医原病症候群 2.相互作用の場=bipersonal field Little,M(1951)「逆転移」とそれへの反応 Searles,H(1975)「分析家のための治療者としての患者」 →無意識的なコメンテーター=修正する人=スーパーヴァイザーとしての患者
盲点と長期的な視点 訓練分析によって得られる自己分析 ↓ 自分の盲点の理解 =一生のもの(終わりなき分析) 訓練分析によって得られる情緒 ↓ 人に依存し、相談することで生じる転移(退行)の姿
解毒と相互作用 • 訓練分析によって得られる経験 ↓ クライアントの境遇と立場=枠組みの体験 • 訓練分析によって得られる内省 ↓ 投影の解毒=相互作用の内在化 精神分析によって得られる理解が自分にとっての精神分析の意義と重なる
訓練分析および個人分析の意義 心理療法が治療者のパーソナリティを道具として、クライエントとの深い相互作用を認識することで成り立っているので、より良い理解を治療者自身がすること 治療そのものの体験によって、自分の心的過程、転移、抵抗、洞察などの現象を理解し、体験的に学ぶ 治療を受けたことのない人が治療をするべきではない ⇒正しいが、すべての人にできない
間主観性と分析的相互性 • 間主観性の変容性内在化モデル →多くの関係が間主観的である。 スーパーヴィジョンを含めて、メタ理論としての精神分析の可能性 分析が相互作用=つながりを保証する
日本の力動的な精神療法は短時間療法である 日本の力動的な精神療法は短時間療法である • 日本の精神分析導入の歴史(妙木&安斉、2005年):古澤は通信分析をはじめ変法と短期の分析体験を下に精神分析を導入した。先に心理を実践していた、矢田部も大槻もみなそうだった。 • 1970年代、この実践は国際学会と遠いところにあり、学会ではSVだけの精神療法を認めるシンポジウムが開かれ、精神分析ではなくなり、それは今日の学会資格に至るまで長い鎖国の歴史をもつ。
アムステルダム・ショック • 1993年:アムステルダムショックが黒船になり、ようやく日本の特殊性がLacan同様に、見えてきている。 • 力動精神医学は定着せず、精神科の実践で精神分析は一度も流布することなく、不可能なままであり続けている。ただ認識だけが理想化されて、行われているのは短期療法であった。 • 毎日分析から見れば、週一回で終わりなきという実験的変法である
世界の流れ • 米国の事情は、メニンガー・クリニックを中心としてきわめて特殊な力動精神医学の流れであり、それは80年代まで、精神分析医SHRINKS黄金時代であった。 • 英国の事情は、第二次世界大戦のシステム構築時代に精神分析医は精神科専門医になり、国家施策として、子どもの療育が組織された。
さまざまな治療技法のなかで • 精神分析のオリジナリティは、長期療法にある(Gabberd)。 • 長期的に治療を受けることと治療をすることが連続していることであるという理解が、力動派のものである。 • 並行して、長期的にスーパーヴィジョンを受けることを徹底していく • 研究所のメンバーであることで、それを持続する。
訓練分析の問題を指摘する人 米国の組織的な研究施設の訓練 Bernfeld(1962)、Kernberg(2000) 英国のクライン学派 Balint,Gloverの感じていた問題 Balint フェレンチィの後継者、独立学派 Glover 教育委員会を辞める Heimann(1955)
Balint(1948) • クライン―フロイト論争時にコメントして 1947年 訓練組織における問題:あまりに自分の訓練分析家を尊敬してしまう。そしてあまり異論なしに教義的で権威的な治療に従順である。
Bernfeld(1952)ら • ベルリン-アイティンゴンモデル 制度は思考を促進しない。 カーンバーグ(1996)(2000) 1.候補生を子供化 2.科学的孤立と無知 3.候補生の教育体験への無責任 4.権威主義と恣意性 5.外的な体験とその影響の否認
Heimann(1954) • 訓練分析は普通の分析と区別する分析家にとって多くの問題が生じる • 訓練のコースで受ける外的な障害を常に分析し、問題を道具にすることで、分析は深まる • 分析家は純粋に分析的手続きに依拠する必要がある • 分析家は自分の問題を認識して統治し、自分の逆転移をあいまいにしてはならない
組織:訓練分析のジレンマ(Brazil 1975) 1.分析学校:組織化のための上下関係などによって規則ができる:影響の受けやすい人、素直な生徒が入学する 2.研究所への入学許可を過大評価しやすい:従順と反対者への自己防衛 3.「組織への従順」に熱心で、「上から」の圧力が反映されやすい
救済とユートピアのパラドックス理想郷としての訓練分析救済とユートピアのパラドックス理想郷としての訓練分析 • Greenacre(1971)が指摘した救済空想がもたらす逆転移 Berman(2003) →1.万能、全知 2.自己の理想化、ロマン主義化 3.罪悪感の原因となる部分の悪魔化 ユートピアとしての訓練分析 本当の人としての分析家(長期化のネガ)
アイチンゴン症候群(Zusman1988) • フロイトの信奉者であったアイティンゴンの訓練システムはあらゆる研究所に波及するが、フロイトとアイティンゴンの関係の転移性の伝播であり、あらゆる分析関係でこれを再活性化しなければならない症状である。 →反復を生きるということ。
科学としての理論構成 • 自分の実践を盲信しないためにスーパーヴィジョンを位置づけ、訓練を定期的に行う。 • 研究所のメンバーであることは、それに対して批判的であり続ける科学的公準を守ることにある。 • 実践としての精神分析を続けることで、その一定の効果を実践しつつ、測定していく姿勢が重要になる。
再度精神分析の意義 • 自己発見的価値 • 教育のシステムの問題点とは別に、この技法のオリジナリティは、治療者の心を使うところにあるため、それを無視した技法的発展はありえない。 障害が治療概念になっていった歴史がある。 ⇒抵抗から転移 ⇒逆転移から相互作用、自己開示
セラピストの一生をどう考えるか • 力動的な理解 →事例発表をはじめとして、その人の歴史を構成している。 パラレル・プロセス(SV-訓練)は、強力な形でしばしば起きるし、それは訓練の歴史においても同じである。 心の成長のためには、何が必要か?