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6[ 改 ] ・異文化理解をめぐって

6[ 改 ] ・異文化理解をめぐって. 2009.05.27.  成蹊・文化人類学 Ⅰ. 異文化理解とはどういうことか?. 自分たちとかなり・全く異なる文化と接した場合、 「わたしたちとは違うけれども、それをとやかくいうことはできない」「あれはあれでありだろう」は、果たして異文化理解のスタンスとして適当なのか? それは「わかったふり」をしているだけで、実はそれ以上の理解を拒絶・否定している可能性はないか? あるいは 、すべて受け入れて、自分たちも同じようにふるまえば理解したといえるのだろうか? 「自分たちの文化とは違う」という文化の差異に対して、どのようなスタンスで臨むのか?.

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Presentation Transcript


  1. 6[改]・異文化理解をめぐって 2009.05.27. 成蹊・文化人類学Ⅰ

  2. 6[改]・異文化理解をめぐって 異文化理解とはどういうことか? • 自分たちとかなり・全く異なる文化と接した場合、 • 「わたしたちとは違うけれども、それをとやかくいうことはできない」「あれはあれでありだろう」は、果たして異文化理解のスタンスとして適当なのか? • それは「わかったふり」をしているだけで、実はそれ以上の理解を拒絶・否定している可能性はないか? • あるいは、すべて受け入れて、自分たちも同じようにふるまえば理解したといえるのだろうか? • 「自分たちの文化とは違う」という文化の差異に対して、どのようなスタンスで臨むのか?

  3. 6[改]・異文化理解をめぐって 自分は「猫食文化」をどう思うか

  4. 6[改]・異文化理解をめぐって 否定派・中間派・肯定派

  5. 6[改]・異文化理解をめぐって ほかの人はどう思ったと思うか(1)

  6. 6[改]・異文化理解をめぐって ほかの人はどう思ったと思うか(2)

  7. 6[改]・異文化理解をめぐって 自分を中心に考えてしまうこと • 「日本人の感覚からすると、ねこはペットであって、食べるものではない」→「ヘンな食文化だ」 • 土を食べる民族もいれば、カブトムシの幼虫をごちそうとする民族もいるし、豚の血液をおいしいとする民族もいる • が、大事なのは、絶対的に・誰から見ても「変わっている」食物・食文化というのはない、ということ • 「ヘンな食文化」という考え方の裏には「自分たちはヘンじゃない」という前提がある • これは、日本人だけでなく、世界のひとびとに共通する普遍的な考え方=自文化中心主義 ethno-centrism • 「異文化理解」においては自文化中心主義はとても厄介

  8. 6[改]・異文化理解をめぐって 「文化の翻訳」という問題(1) • たとえば、日本人―鯨の関係と、中国人-ねこの関係を等値と見ること、はよく試みられる • それはショックを緩和する意味で、大切なはじめの一歩 • ただし、それは「翻訳」であって「理解」ではないのに、「理解した気になる」のが問題 • cf. むずかしい英語の(あるいは独語/仏語の)哲学書を、がんばって日本語に翻訳したとする • それはその哲学書の「内容」を理解したことになるか? というと、ならないはず • 鯨への置換は「文化の翻訳」にすぎない

  9. 6[改]・異文化理解をめぐって 「文化の翻訳」という問題(2) • 古池や 蛙飛び込む 水の音 と、Old pond---frogs jumped in---sound of water(ラフカディオ・ハーンの英訳) • 両者を、完全にイコールで結ぶことは、むり • 100%完全な理解には到達できない • だからといって、両者がまったく違う、ということでもない • どんなにやっても0%の理解に留まるわけでもない • 両者の相互理解について語るには、何万の言葉を費やさなければいけないだろう →文化の問題も同じでは?

  10. 6[改]・異文化理解をめぐって 情報を集めて理解することのメリット • 中国における猫食の背景 • まず、全員が食べるわけではもちろんない • 全ての中国国民に「ペット」という感覚が欠如しているわけでもない • 猫<虎(あるいは蛇<龍)という比喩的関係 • 同様の事例は、他にもないだろうか? • 韓国における犬食 • 日本におけるうなぎ食 • 猫食の背景を知っての「翻訳」と知らないでの「翻訳」は意味が違うし、当然「理解」にも差がでる • 前回まとめ:異文化理解とは、その行為・考え方の背景について(コミュニケーションを通じて)理解することである

  11. 内容A 内容B A B 6[改]・異文化理解をめぐって 「真の(異文化)理解」の不可能性(1) • ところが、ここでひとつの壁にあたらざるを得ない • 言語を媒介とするかぎり、言語自体のもつ制約によって、100%信頼できるコミュニケーションは行ない得ない • ある語が指す内容について、話者Aと話者Bが想定する内容が一致しているかどうかを確認する手段はない

  12. 6[改]・異文化理解をめぐって 「真の(異文化)理解」の不可能性(2) • 100%信頼できるコミュニケーションが成立しない以上、対話に基づいて得られる理解には、常に誤解がどこかには生じている • では、どうせ誤解があるなら、面倒な思いをして対話しなくてもいいのか? • だれかがそうしたスタンスをとることを止めることはできない(文化相対主義の限界) • だからといって、みんながみんな対話をやめてよいとも思えない……どうせ100点とれないから試験勉強はしない? 30点よりは50点がましだから、ちょっとでもがんばる? • 「理解できる」のではなく「理解しようとすることができる」だけだが、「理解しようとする」のとそれを放棄するのとの間には、大きな差がある

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  14. 6[改]・異文化理解をめぐって 異文化への視角 • 自分たちの基準に照らして、猫食を「ヘンだな」と思ってしまうこと、あるいは裸の人々の生活を「遅れているな」と思ってしまうことは、ある意味「自然」で「常識的」な反応 • ただ、文化人類学的には、そうした「常識」的な見方を再検討したい • だからといって、「実は自分たち{が/も}ヘンなのだ」「自分たちも別の意味で劣っているのだ」と単純に正誤や優劣をひっくり返すのでは、「正誤・優劣」という枠組み自体から抜け出せたわけではない点に注意

  15. 6[改]・異文化理解をめぐって 視点と次元 • 0次元……点 • 1次元……直線(長さ) • 2次元……平面(縦と横) • 3次元……立体(縦・横・高さ) • 視点は0次元であり、視線は1次元となる • 視野は2次元・3次元の広がりをもつ • わたしたちはどのように「視野を広げる」ことができるのだろうか?

  16. C B A 乏 豊 6[改]・異文化理解をめぐって 上下関係を生み出すもの(1) • 文化について、上とか下とか(不本意ながらも)考えてしまうのは、単一の基準で(たとえばモノが豊かかそうでないか)相互を位置づけようとしてしまうから • ある1つの基準を設けて(モノの豊かさなど)世界を眺めると、それは必然的に「上下関係」「先後関係」になってしまう……1次元のみかたの特徴 • 「西洋に追いつき、追い越せ」「先進国と発展途上国」といったスローガンや枠組みは、1次元のもののみかたに拠っている

  17. 適合 C B A 不適合 乏 豊 6[改]・異文化理解をめぐって 上下関係を生み出すもの(2) • もし基準を2つとれば、単純な上下関係ではなくなる • たとえば、ものの豊かさ+自然への適合の2つの基準をとろうとしてみると次のようになる

  18. 6[改]・異文化理解をめぐって 複数の基準から眺めること • 2つ、3つと、さまざまな基準からみていけば、「上下」「優劣」とは異なる視点から、互いの文化をみつめることができる……2次元のみかたの特徴 • さまざまな基準からみていくには、ある文化を総体的・全体的にとらえようとする必要がある • 3つ基準をとれば3次元、10個とれば10次元と、どんどん視野は広がっていくだろうか?……答えは、否。 • 基準を増やしていってもそれだけでは、ちょうど同心円の中心にいる自分からの遠近でしか、他者をみることはできない

  19. 6[改]・異文化理解をめぐって 自文化中心主義/文化相対主義(1) • 基準を増やしていってもそれだけでは、ちょうど同心円の中心にいる自分からの遠近でしか、他者をみることはできない • 評価の基準は、まず最初には自文化のそれになってしまう……自文化中心主義・自文化絶対主義 • 「3次元のみかた」のためには、自分を中心とする同心円(を含む平面)から離れて視点を移動してやり、別の角度・高さから、その平面を見直してやる必要がある……自文化の相対化・文化相対主義

  20. 6[改]・異文化理解をめぐって 自文化中心主義/文化相対主義(2) • 自文化中心主義とは、自分の文化の基準で周囲をはかり、自分と異なる点について、ヘンだ・おかしい・間違っている・劣っている・遅れている、などと判断する立場 • それだけ聞くと、ずいぶんよくないスタンスのようだが、ひとは誰でも成長過程で「自分の文化」を形づくっている以上、完全にこの見方を排除することは極めて難しい • 文化相対主義とは、相手の文化も自文化同様しっかりとした「体系」を持っており、そのひとびとの間で共有・学習され、継承・ブラッシュアップされてきたものであるから、互いに尊重されあうべきものだ、と考える立場 • それだけ聞くと、とてもすばらしいスタンスだが、これを実現するためには、i. 相手の文化を(コミュニケーションを重ねた上で)きちんと認める、ii. 自文化を相対化・客観視(3次元的に眺める)する、iii. 全体の中での位置を(自他ともに)把握することが必要であり、なかなか簡単に成し遂げられるものでもない

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  22. 6[改]・異文化理解をめぐって なぜ異文化を理解しなければならないのか • そのひとつの理由は「理解の相互性・相対性」に基づいている • 理解(≒知ること)がコミュニケーションに基づくのだとすると、その回路を一方的に閉ざすことは適切ではない • もうひとつの理由は「知らなくてもいいが、知っていればよりよいことがあり得る」という点 • たとえば「方言」という文化を共有できるケースとできないケース、どちらがよりシンパシーを得られるだろうか? • 結局のところ、異文化理解は、他人への理解・他人とのコミュニケーションと似た次元にある • それは、もともと(原始人状況を想定すると)ほとんどすべての他者が「異文化」であったことと通底する

  23. 6[改]・異文化理解をめぐって 異文化理解-まとめ(1) • 異文化理解とは「まあそれもありだろう」と認めることではない • 異文化理解とは「やってみること」でもない • 異文化理解とは、その行為や考え方の背景を理解することである • だから、ある意味、だれにでもできる(猫好きであっても猫食は「理解」できる) • 逆に、やろうと思わなければ、できない(簡単に流すことはできない) • 異文化理解は(基本的には)ことばやコミュニケーションを媒介として成り立つ • だから、100%完全に理解することはできない(言語の限界) • 自分のことば・自分の文化は、役立つとも言えるし、邪魔になるとも言える(基準点としての自文化 vs 自文化中心主義)

  24. 6[改]・異文化理解をめぐって 異文化理解-まとめ(2) • 異文化理解とは、つまるところ、全然知らない「異文化」に対して働きかける不断のプロセスである • 全然知らない0の状態から、実現不可能な理想の100の状態をめざして、0よりは10、10よりは30……の理解を続けていこうとするひとつの〈プロセス〉である • 「理解しよう」という動的 dynamic な〈プロセス〉であって、「理解した」という静的 static な〈状態〉ではない • 異文化理解は、個人としての他人の理解と似通ったものとしてとらえて、ほぼさしつかえない • 他人を理解することは必要か? 他人を理解することは可能か? という問いに対して、個々人がどういうスタンスをとるのか、という問題と、本質は同じである

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