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石川研究室 ~ナヌムの家~ 梅根綾花 紫村祐樹 福井千尋. 全体の流れ. ・「慰安婦」について ・歴史的背景 ・ナヌムの家 ・ハルモニの紹介 ・ハルモニの描く絵画 ・カタルシス効果 ・まとめ. 日本軍「慰安婦」. 1932年~1945年ごろ 1937年日中戦争 1941年太平洋戦争 「慰安所」が設置 総数:約 2 万人とも (日本人 70% ・朝鮮人 20 %・中国人 10% ) 現在、「慰安婦」だったことを 申告しているのは 約 200 人. 強制連行?. 1991 年、 故 金学順 が証言
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石川研究室 ~ナヌムの家~ 梅根綾花 紫村祐樹 福井千尋
全体の流れ ・「慰安婦」について ・歴史的背景 ・ナヌムの家 ・ハルモニの紹介 ・ハルモニの描く絵画 ・カタルシス効果 ・まとめ
日本軍「慰安婦」 1932年~1945年ごろ 1937年日中戦争 1941年太平洋戦争 「慰安所」が設置 総数:約2万人とも (日本人70%・朝鮮人20%・中国人10%) 現在、「慰安婦」だったことを 申告しているのは約200人
強制連行? 1991年、故金学順が証言 1934年3月、陸軍省兵務局から「軍慰安所従業婦等募集に関する件」とする通牒が出されていた。 強制連行の有無は不明確なところも多く、 慰安婦に対する国際的な評価は確定していない。
慰安婦の待遇 下関裁判:文珠玉が2年半で貯金した \26,145の返還請求 当時、陸軍大将の年俸が\6,600 二等兵の年俸が\72 当時の貧しい状況を考えると 待遇は割と良かったとも・・・?
訴訟 かんぷ 関釜裁判 1998年、地裁は事実認定 2001年、高裁では全面破棄 2003年、最高裁では上告棄却され敗訴確定 謝罪と賠償を求めているものの、全てが時効などを理由に敗訴
日本政府の対応 強制連行があったことは認めていない 2001年、小泉首相は「女性のためのアジア平和国民基金」 (2007年解散)を通じ、謝罪・反省の気持ちを表した
水曜デモ • 日本大使館前では毎週水曜日にデモが行われている • 現在700回を超える
日本政府への要求 1 責任を認めること 2 謝罪すること 3 事実を明らかにすること 4 慰霊碑をたてること 5 生存者・遺族の補償 6 歴史教科書に載せること 7 責任者の謝罪
ナヌムの家 「ナヌム」とはハングルで「分かち合い」という意味。 元日本軍慰安婦のおばあさんたちが集まり生活している場所。 ナヌムの家正面玄関写真 手折られた花像
施設の紹介 ・展示場(歴史館) ・ナヌムの家 ・ログハウス ・研修館 ◎来客用の宿泊施設もある
ハルモニたちの絵画教室 • 93年2月から毎週1回、3年間かけて • 習作や模写から抽象的な表現を経て、被害者としての心の傷をむき出しにしてそれを絵の中に具体的に昇華させるまで • 絵を描くことを通じて被害者の心に刻まれた傷を治療する→「美術治療」 • 95に東京と名古屋、他世界各地で展示
カン・ドッキョン 姜徳景ハルモニ • 1929年生まれ • 16歳のときに日本人の担任の薦めで女子勤労挺身隊1期生として日本へ • 「水曜デモ」を主導する • 日本の戦争犯罪を告発する内容の作品性 • 69歳で他界
「責任者を処罰せよ」 「ラバウルの慰安所」
キム・スンドク 金順徳ハルモニ • 1921年生まれ • 17歳のとき、だまされて日本に慰安婦として動員される • 日本で衰弱し、志願後帰国する • 幼いころの故郷の風景に対する切ない恋しさ、連行された当時の様子と、懸命に生きてきたという、生の表現
「韓国から略奪した種をまく日本」 「出会い」
「強制連行」 「咲かずの花」
キム・ボクトン 金福童ハルモニ • 1926年生まれ • 15歳のとき、台湾の慰安所にだまされて連行される(軍服工場に就職させる) • アジア各地をつれまわされる • 体験を後世に残すという所信からか、数ヶ月のうちにスケッチブックをすべて書き終える
「恨多き女よ、仏様に祈りなさい!」 「日本は侵略するな‐独島は我々の地」 「若い頃の私はどこへいったと思ったら、 振り返ればいつの間にか白髪だった」
イ・ヨンニョ 李容女ハルモ二 • 1926年生まれ • 16歳でだまされてミャンマーへ • 帰国後も家族がばらばらで、過酷な生活を送る • 「ナヌムの家」入出居を繰り返す
「朝鮮の女性」 「淋しく暮らしていたところ退村(現ナヌムの家)」
ペ・チュンヒ 裴春姫ハルモニ • 1923年生まれ • 中国で慰安婦生活 • 帰郷後も、対応できずに日本で暮らす(流暢な関西弁。スター性がある) • 多彩な才能を持つ。 • 現職:娯楽部長
カタルシス効果とは • もともとは体内にたまった汚物を体外に排出し体内を浄化するという意味のギリシャ語 • 無意識の内に抑圧されている、過去の苦痛で屈辱的な、あるいは恐怖や罪悪感をともなう体験やその表象を、主体が想起しそれを言語化するときに、その体験や表象にまつわりついている感情や葛藤(かっとう)がその言語表現とともに表出され、それによって「たまっていたものが排出」され、心の緊張がほぐれるようになる
まとめ・感想 • 戦争では、こうした慰安婦問題はつきものである。だから、この先彼女たちのような被害者を増やさないためにも、戦争は絶対に避けるべきことであると感じた。 • 絵には、見る人の心を癒すだけでなく、描く人の心をも癒す力があるのだということが解った。
参考資料 ・「咲ききれなかった花」キップンチャユ社 ・日本軍「慰安婦」歴史館資料 ・「ハルモニの絵画展1万5000の出会い」梨の木舎 ・ナヌムの家http://www.nanum.org/jap/ ・女性のためのアジア平和国民基金http://www.awf.or.jp/ ・石川先生のお話 ご清聴ありがとうございました