1 / 11

3 ・猫食と異文化理解

3 ・猫食と異文化理解. 2012.05.09.  成蹊教養・文化人類学の考え方. 前回:異文化理解の問題. 自分たちとかなり・全く異なる文化と接した場合、 「わたしたちとは違うけれども、それをとやかくいうことはできない」「あれはあれでありだろう」は、果たして異文化理解のスタンスとして適当なのか? それは「わかったふり」をしているだけで、実はそれ以上の理解を拒絶・否定している可能性はないか? あるいは 、すべて受け入れて、自分たちも同じようにふるまえば理解したといえるのだろうか? 「自分たちの文化とは違う」という文化の差異に対して、どのようなスタンスで臨むのか?

lapis
Download Presentation

3 ・猫食と異文化理解

An Image/Link below is provided (as is) to download presentation Download Policy: Content on the Website is provided to you AS IS for your information and personal use and may not be sold / licensed / shared on other websites without getting consent from its author. Content is provided to you AS IS for your information and personal use only. Download presentation by click this link. While downloading, if for some reason you are not able to download a presentation, the publisher may have deleted the file from their server. During download, if you can't get a presentation, the file might be deleted by the publisher.

E N D

Presentation Transcript


  1. 3・猫食と異文化理解 2012.05.09. 成蹊教養・文化人類学の考え方

  2. 3・猫食と異文化理解 前回:異文化理解の問題 • 自分たちとかなり・全く異なる文化と接した場合、 • 「わたしたちとは違うけれども、それをとやかくいうことはできない」「あれはあれでありだろう」は、果たして異文化理解のスタンスとして適当なのか? • それは「わかったふり」をしているだけで、実はそれ以上の理解を拒絶・否定している可能性はないか? • あるいは、すべて受け入れて、自分たちも同じようにふるまえば理解したといえるのだろうか? • 「自分たちの文化とは違う」という文化の差異に対して、どのようなスタンスで臨むのか? • 日本人だけでなく、世界のひとびとに共通する普遍的な考え方=自文化中心主義 ethno-centrism • 「異文化理解」においては自文化中心主義はとても厄介

  3. 3・猫食と異文化理解 異文化へのスタンス • 「自分たちの文化とは違う」という文化の差異に対して、どのようなスタンスで臨むのか? • とりあえず「自文化中心主義」には注意が必要であるが…… • 「ふーん、そうなんだ、ま、それもありじゃん?」……それは実はそれ以上の理解をやめてしまっている思考停止では? • 「わかりました、あなたのやりかたを100%受け入れ、実行します」……それは「自文化否定主義」みたいなもので、長くは続かないのでは? • 「よーし、食べてみたぞ、これでおれはお前のことがよくわかった!」……そんなに話は単純ではないだろう(じゃあ、ピザを食べたらイタリア人のことがわかるのか??) • 「わたしはわたし、あなたはあなた、お互いとやかく言われたくないでしょう? だから、黙ってて」……それを突き詰めると多様性過剰になって共同体は崩壊するのでは?

  4. 3・猫食と異文化理解 「文化の翻訳」という問題(1) • たとえば、日本人―鯨の関係と、中国人-ねこの関係を等値と見ること、はよく試みられる • それはショックを緩和する意味で、大切なはじめの一歩 • ただし、それは「翻訳」であって「理解」ではないのに、「理解した気になる」のが問題 • cf. むずかしい英語の(あるいは独語/仏語の)哲学書を、がんばって日本語に翻訳したとする • それはその哲学書の「内容」を理解したことになるか? というと、ならないはず • 鯨への置換は「文化の翻訳」にすぎない

  5. 3・猫食と異文化理解 「文化の翻訳」という問題(2) • 古池や 蛙飛び込む 水の音 と、Old pond---frogs jumped in---sound of water(ラフカディオ・ハーンの英訳) • 両者を、完全にイコールで結ぶことは、むり • だからといって、両者がまったく違う、ということでもない • 両者の相互理解について語るには、何万の言葉を費やさなければいけないだろう →文化の問題も同じでは?

  6. 3・猫食と異文化理解 異文化理解とはどういうことか?-中括 • 中国における猫食の背景 • まず、全員が食べるわけではもちろんない • 全ての中国国民に「ペット」という感覚が欠如しているわけでもない • 猫<虎(あるいは蛇<龍)という比喩的関係 • 同様の事例は、他にもないだろうか? • 韓国における犬食 • 日本におけるうなぎ食 • 猫食の背景を知っての「翻訳」と知らないでの「翻訳」は意味が違うし、当然「理解」にも差がでる • 異文化理解とは、そうした「文化の背景・理由・詳細について知る(知ろうとする)こと」である

  7. 内容A 内容B A B 3・猫食と異文化理解 「真の異文化理解」の不可能性(1) • ねこ食の話から異文化理解とは「その文化の背景/理由/過程について〈知る・知ろうとする〉」ことと述べた • 知るためには、コミュニケーションと言語が不可欠 • ところが、言語を媒介とするかぎりは、言語自体のもつ制約によって、100%信頼できるコミュニケーションは行ない得ない • ある語が指す内容について、話者Aと話者Bが想定する内容が一致しているかどうかを確認する手段はない

  8. 3・猫食と異文化理解 「真の異文化理解」の不可能性(2) • 100%信頼できるコミュニケーションが成立しない以上、対話に基づいて得られる理解には、常に誤解がどこかには生じている • では、どうせ誤解があるなら、面倒な思いをして対話しなくてもいいのか? • だれかがそうしたスタンスをとることを止めることはできない(文化相対主義の限界) • だからといって、みんながみんな対話をやめてよいとも思えない……どうせ100点とれないから試験勉強はしない? 30点よりは50点がましだから、ちょっとでもがんばる? • 「理解できる」のではなく「理解しようとすることができる」だけだが、「理解しようとする」のとそれを放棄するのとの間には、大きな差がある

  9. 3・猫食と異文化理解 なぜ異文化を理解しなければならないのか • そのひとつの理由は「理解の相互性・相対性」に基づいている • 理解(≒知ること)がコミュニケーションに基づくのだとすると、その回路を一方的に閉ざすことは適切ではない • もうひとつの理由は「知らなくてもいいが、知っていればよりよいことがあり得る」という点 • たとえば「方言」という文化を共有できるケースとできないケース、どちらがよりシンパシーを得られるだろうか? • 結局のところ、異文化理解は、他人への理解・他人とのコミュニケーションと似た次元にある

  10. 3・猫食と異文化理解 異文化理解-まとめ(1) • 異文化理解とは「まあそれもありだろう」と認めることではない • 異文化理解とは「やってみること」でもない • 異文化理解とは、その行為や考え方の背景を理解することである • だから、ある意味、だれにでもできる(猫好きであっても猫食は「理解」できる) • 逆に、やろうと思わなければ、できない(簡単に流すことはできない) • 異文化理解は(基本的には)ことばやコミュニケーションを媒介として成り立つ • だから、100%完全に理解することはできない(言語の限界) • 自分のことば・自分の文化は、役立つとも言えるし、邪魔になるとも言える(基準点としての自文化 vs自文化中心主義)

  11. 3・猫食と異文化理解 異文化理解-まとめ(2) • 異文化理解とは、つまるところ、全然知らない「異文化」に対して働きかける不断のプロセスである • 全然知らない0の状態から、実現不可能な理想の100の状態をめざして、0よりは10、10よりは30……の理解を続けていこうとするひとつの〈プロセス〉である • 「理解しよう」という動的 dynamic な〈プロセス〉であって、「理解した」という静的 static な〈状態〉ではない • 異文化理解は、個人としての他人の理解と似通ったものとしてとらえて、ほぼさしつかえない • 他人を理解することは必要か? 他人を理解することは可能か? という問いに対して、個々人がどういうスタンスをとるのか、という問題と、本質は同じである

More Related