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情報メディア基礎論. オタク vs ストリート?③ 文化社会学から考える. 毛利嘉孝の「ストリートの思想 vs オタクの思想」 「大規模オフ」と「サウンド・デモ」「フラッシュ・モブ」のあいだ 「音楽・身体・ストリート・政治」vs「アニメ(ゲーム・ラノベ)・ネット・ニコ動・非政治」? 音楽:文化資本を携えた象徴闘争(卓越化ゲーム)のメディアとして機能している→「上位層」における社会的コミットメントの強さ(社会の全体性の縮約としての音楽界). 前回までの簡単な復習. アニメ趣味の「界」において、卓越化の契機は見出されうるか?
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情報メディア基礎論 オタクvsストリート?③ 文化社会学から考える
毛利嘉孝の「ストリートの思想vsオタクの思想」毛利嘉孝の「ストリートの思想vsオタクの思想」 「大規模オフ」と「サウンド・デモ」「フラッシュ・モブ」のあいだ 「音楽・身体・ストリート・政治」vs「アニメ(ゲーム・ラノベ)・ネット・ニコ動・非政治」? 音楽:文化資本を携えた象徴闘争(卓越化ゲーム)のメディアとして機能している→「上位層」における社会的コミットメントの強さ(社会の全体性の縮約としての音楽界) 前回までの簡単な復習
アニメ趣味の「界」において、卓越化の契機は見出されうるか?アニメ趣味の「界」において、卓越化の契機は見出されうるか? 近年議論されてきた「オタク」的な趣味の受容様式と男女差(データベース消費、相関図消費) そういうことは、ある程度の実証性をもっていえるのか 今回のねらい
1983年 『漫画ブリッコ』コラムにおける中森明夫の命名とされる1983年 『漫画ブリッコ』コラムにおける中森明夫の命名とされる アニメ映画の公開前日に並んで待つ奴、ブルートレインを御自慢のカメラに収めようと線路で轢き殺されそうになる奴、本棚にビシーッとSFマガジンのバックナンバーと早川の金背銀背のSFシリーズが並んでる奴とか、マイコンショップでたむろってる牛乳ビン底メガネの理系少年、アイドルタレントのサイン会に朝早くから行って場所を確保してる奴、有名進学塾に通ってて勉強取っちゃったら単にイワシ目の愚者になっちゃうオドオドした態度のボクちゃん、…それでこういった人達を、まあ普通、マニアだとか熱狂的ファンだとか、せーぜーネクラ族だとかなんとか呼んでるわけだけど、どうもしっくりこない。なにかこういった人々を、あるいはこういった現象総体を統合する適確な呼び名がいまだ確立してないのではないかなんて思うのだけれど、それでまぁチョイわけあって我々は彼らを『おたく』と命名し、以後そう呼び伝えることにしたのだ。 『Fanroad』『Out』『アニメディア』『アニメージュ』『Newtype』 家庭用ビデオの導入期(永田2011)と「オタク・アイデンティティ」の共鳴 1989年 東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件「M事件」でメディアで注目される(ビデオ・幼女趣味・非外向的性格) 1.オタクの概念史
人格類型としての「オタク」と「新人類」の対照人格類型としての「オタク」と「新人類」の対照 情報社会、消費文化、友人関係などに関連する質問項目をもとに因子分析、因子得点をもとに5つのクラスターを抽出。それをルーマンの「認知的予期」/「規範的予期」の区別に基づき、理論的に説明する。 宮台真司他『サブカルチャー神話解体』(1993)
情報社会・記号消費社会において、若者は、どのような予期構造を持つことによって、行為接続にかかわる複雑性に対応するか。情報社会・記号消費社会において、若者は、どのような予期構造を持つことによって、行為接続にかかわる複雑性に対応するか。 「新人類」「オタク」現象を、別文化としてしまうのではなく、特定の社会的状況に対応する「予期構造」の差異として描く。 「予期構造」自体は、時代・文化が変われば、べつのあり方で顕現することもある。(機能的等価物)
ルーマンの規範的予期/認知的予期の区分をもとにルーマンの規範的予期/認知的予期の区分をもとに ①自らの予期を基本的に規範的な水準で設定し、予期外れにいて「当為的・規範的に対処する」人格システム(バンカラ風さわやか人間)、 ②逆に自らの期待水準を低めに設定することにより期待はずれを「免疫化する」人格システム(頭のいいニヒリスト)、 ③「高度な情報能力を用いて、期待水準を自在に変更する、柔らかいシステム」(ミーハー自信家)、 ④期待はずれが生じる行為領域そのものから退却する非活動的な人格システム(ネクラ的ラガード)、 ⑤「近隣の活動的なシステムに追随する模倣的なシステム」(友人よりかかり人間)
北田研練馬2010年調査 人格類型としての拡散
人格類型としてオタクをみていくことの限界?人格類型としてオタクをみていくことの限界? 東浩紀『動物化するポストモダン』 コンテンツの受容(消費様式)、「オタク」的な世界認識の方法を探っていく試み。 2.データベース的消費
萌え要素 キャラクターが内在する物語空間から自律して、消費・受容の契機となるような断片的な身体的特徴や、スタイル、属性。こうした断片化された要素の集積(データベース)から、受容者ごとに選択(検索)がなされ、物語・オリジナルの文脈から自律した二次創作や「流用的」な受容が生み出される。
『ガンダム』のファンの多くは、ひとつのガンダム世界を精査し充実させることに欲望を向けている。つまりそこでは、架空の大きな物語への情熱がいまだに維持されている。『ガンダム』のファンの多くは、ひとつのガンダム世界を精査し充実させることに欲望を向けている。つまりそこでは、架空の大きな物語への情熱がいまだに維持されている。 しかし、90年代半ばに現れた『エヴァンゲリオン』のファンたち、とりわけ若い世代(第三世代)はブームの絶頂でさえ、エヴァンゲリオン世界の全体にはあまり関心を向けなかったように思われる。むしろ彼らは最初から、二次創作的な過剰な読み込みやキャラ萌えの対象として、キャラクターのデザインや設定ばかりに関心を集中させていた。」 P59
「やおい」の愛好者は、キャラクターを原作の物語世界からは切り離しているが、原作で描かれる人間関係から切り離していない。「やおい」の愛好者は、キャラクターを原作の物語世界からは切り離しているが、原作で描かれる人間関係から切り離していない。 したがって、「やおい」の元になっているのは、世界観消費でもデーターベース消費でもない、キャラクターとその人間関係に関心を向ける作品消費の仕方だといえよう。 このような、「やおい」的な二次創作に見られる物語消費を、物語の登場人物間の関係を図示した人物相関図から、「相関図消費」と呼びたい。 相関図消費 東園子(2010)より
「男性同士の関係性」への萌え ・既存の性別規範が解除されざるをえない関係性の構想(関係性の投射) ・「男らしさ/女らしさ」のロールモデルに沿わない(あるいはそれを領有した)恋愛と性関係の可能性の示唆 ・いわゆる「オタク」コンテンツに限定されるものではない可能性。宝塚、嵐
検出的に趣味同士の相関(性別を統制した偏相関)検出的に趣味同士の相関(性別を統制した偏相関) アニメという趣味選択の自律性 ①正の相関自体にある他の趣味が4個(平均8.47)とかなり少なく(「マンガ」「ゲーム」「カラオケ」「小説」)、 ②負の相関関係にある他の趣味が5個ある(「自分でやるスポーツ」「食べ歩き」「ショッピング」「海外旅行」「ドライブ」)。 *アニメが関係しない組み合わせで負の相関項目を持つのは、「自分でやるスポーツ×楽器演奏」のみ。 *相関係数も「マンガ×アニメ」.475**、「ゲーム×アニメ」.359**と高い値(相関係数.3を超えるのは、他に「ゲーム×マンガ」「ファッション×ショッピング」「海外旅行×国内旅行」のみ) →これほど明瞭ではないが、同様の傾向はクロス表の分析からもうかがわれる ①趣味選択の自律性
全体集約的趣味としての音楽 「でも、しか」的に選択する人も含め、多くの人びとに選択され(広範性)、他の趣味に比して趣味hobbyとしての個別性に乏しい。ただ内的にはコミットの濃淡があり、趣味hobby内の趣味taste分析の重要性。 →象徴闘争の資源、tasteと関連した「差異化」の資源の特定が比較的容易。Cf参考資料 自律的趣味としてのアニメ ①他の趣味と比して趣味としての自律性が高い(趣味選択の自律性)と同時に、②趣味を共有していることと友人関係の連関が密接である。界としての独自性・自律性が読み取りやすく、また浅野(2011)がいうような趣味縁の形成媒体となりやすい。 →hobbyとして選択することそれ自体がある種のtasteの共有と密接に関わっている可能性。文化の正統性とかかわるtasteに照準した「差異化の論理」によって分析することは可能か
①マンガの読み方、構えについての回答をもとにした因子分析により、読みの構えの類型化(移入表層自己陶冶)を行うと同時に、①マンガの読み方、構えについての回答をもとにした因子分析により、読みの構えの類型化(移入表層自己陶冶)を行うと同時に、 ②「アニメ選択あり/なし」を従属変数とし、マンガ受容態勢を説明変数として投入したロジスティック回帰分析を行い、 ③①と②を突き合わせ、アニメの趣味自認と関連する「受容の構え」の傾向を分析する ここにおいて「教養的」な構えはどのように位置づけられうるか? アニメという界
投入する説明変数 性別 学歴 実家の暮らし向き 趣味数 Q12-S2-01.つねに流行のマンガをチェックしたい表層自己陶冶 -02.マンガの登場人物の気持ちを自分の気持ちと重ね合わせてしまう移入 -03.キャラクターの関連グッズを欲しくなることがある表層 -04.自分のマンガの好みを知人・友人に知ってもらいたい表層自己陶冶 -05.絵柄が魅力的であれば、ストーリー展開にはこだわらない表層 -06.マンガの登場人物に恋をしたような気持ちになったことがある移入 -07.マンガみたいな恋をしたいと思うことがある移入 -08.教養のために昔の有名なマンガを読むようにしている自己陶冶 -09.わたしの生き方に影響を与えたマンガがある自己陶冶 -10.マンガの二次創作(同じ登場人物で、原作のストーリーとは違うストーリーを考えたり読んだりすること)に興味がある表層 -11.難しいマンガは好きではない(反転) 自己陶冶
自己陶冶群「教養のために昔の有名なマンガを読むようにしている」と「わたしの生き方に影響を与えたマンガがある」という項目をもとにした説明変数の回帰係数が有意でない。自己陶冶群「教養のために昔の有名なマンガを読むようにしている」と「わたしの生き方に影響を与えたマンガがある」という項目をもとにした説明変数の回帰係数が有意でない。 もちろん、両項目とアニメ選択を単純クロスさせると有意な関連がみられるし、自己陶冶尺度と表層尺度の相関係数も高い。だが、アニメという趣味自認に対する教養指向・実存指向の効果は過大視すべきではないように思われる。 考察:自己陶冶と表層受容
一方、表層群に特徴的な項目 「キャラクターの関連グッズを欲しくなることがある」 「絵柄が魅力的であれば、ストーリー展開にはこだわらない」 「マンガの二次創作に興味がある」 は、分析に投入された他の変数の効果をコントロールしてもアニメ自認への効果を残している。自己陶冶群で回帰係数の有意性が確認されうるのは、表層群と重複する「つねに流行のマンガをチェックしたい」のみ 考察:自己陶冶と表層受容
「界の内部での希少な資源をめぐる卓越化」「tasteの良さをめぐる象徴闘争」というモデルは、自律型趣味の内的関係を単独で扱う場合、適用が難しいように思われる。「界の内部での希少な資源をめぐる卓越化」「tasteの良さをめぐる象徴闘争」というモデルは、自律型趣味の内的関係を単独で扱う場合、適用が難しいように思われる。 「本人たちが意識していなくても、実はtasteをめぐる卓越化のゲームをしている」という分析の構図は、音楽のような全体性集約型の趣味の場合には維持可能であるが、自律型の場合には貫徹が難しい。 その場合には、無理に差異化戦略を読み解く(過剰差異化された行為者を描く)のではなく、別様のルールの記述を(も)考えたほうがよいように思う。 Cf.東浩紀のデータベース消費、東園子の相関図消費など 考察:自己陶冶と表層受容
アニメ選択者/非選択者の間に「社会的コミットメント」項目での差はみられない。アニメ選択者/非選択者の間に「社会的コミットメント」項目での差はみられない。 「非政治的」というよりは、アニメという趣味を持つことは、「政治的・社会的」であることと関連がない、という可能性。 全体集約的な「界」での音楽上位層と、自律性の強い「界」のアニメ選好者を比較するのは難しい。