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比較宗教学講義 Ⅰ 九州の比較宗教学

比較宗教学講義 Ⅰ 九州の比較宗教学. 2014006014 第9回 福岡の 宗教:椎葉神楽 shuuji@lit.kyushu-u.ac.jp 飯嶋 秀治. Ⅰ . 前回の続き. 1. Glodividual としての個人投資家. 対象 個人投資家. 方法 インタヴュー( 200612 ~ 200701 の各2時間) KJ 法で分類→考察 ①条件:関心、学習 ②どのように世界とつき合うのか? ③装置:語彙、四季報、テクニカル分析、理論 ④何が変わってしまったのか? ⑤世界: 投資仲間、投資先の変化と安定化、人間性 ⑥自然的表象の力.

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比較宗教学講義 Ⅰ 九州の比較宗教学

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  1. 比較宗教学講義Ⅰ九州の比較宗教学 2014006014 第9回福岡の宗教:椎葉神楽 shuuji@lit.kyushu-u.ac.jp 飯嶋 秀治

  2. Ⅰ.前回の続き

  3. 1.Glodividualとしての個人投資家 • 対象 個人投資家 • 方法 インタヴュー(200612~200701の各2時間) KJ法で分類→考察 ①条件:関心、学習 ②どのように世界とつき合うのか? ③装置:語彙、四季報、テクニカル分析、理論 ④何が変わってしまったのか? ⑤世界:投資仲間、投資先の変化と安定化、人間性 ⑥自然的表象の力

  4. 2.生産と消費の現場 バナナ・エビ・コーヒー・マグロ等 [鶴見1982;村井1988] 消費社会の神話と構造 [ボードリヤール1995(1970)] 「今日、われわれのまわりにはモノやサーヴィスや物的財の増加によってもたらされた消費と豊かさというあまりにも自明な事実が存在して・・・いる。すなわち、豊になった人間たちは、これまでのどの時代にもそうであったように他の人間に取り囲まれているのではもはやなく、モノによって取り巻かれている」[11-12]「消費社会が存在するためにはモノが必要である。もっと正確にいえば、モノの破壊が必要である」 [46] 「今日必要とされており、また実際かけがえのない個人とは、消費者としての個人にほかならない」 [105]「欲求とはけっしてある特定のモノへの欲求ではなくて、差異への欲求(社会的な意味への欲望)であることを認めるなら、完全な満足などというものは存在しない…ということが理解できるだろう」 [95] 「ダバオの生産の現場では、二つのことが起こっている。その一つは、いうまでもなく、農家、労働者が搾取され、貧しくなっていることだ。もう一つは、クリスチャン・フィリピノ、モロ族、バゴボ族など、どのような集団であれ、その自立的・能動的な主体としての成長が、麻農園からバナナ農園へという外国企業の進出によってぼろぼろに傷つけられていることだ。かれらの自己主張は、さまざまな暴力装置によって、封じ込められている。/かれらの主体性回復、解放は、つきつめていえば、かれら当事者のみが果たせる問題だろう。しかし、当事者と書いたが、バナナについては、それを受け入れ食べている私たち日本人も、その限りにおいては当事者である。」 [鶴見1982:224]

  5. 3.小売・貿易・投資の交点としての岩田屋[岩田屋編集史経営委員会編1986;「闘い続けた55年の記録」編集委員会編2001 ] 岩田屋経営略史 1754呉服商創業(中牟田藤兵衛) 1935百貨店を企画し、資本金50万円で株式会社岩田屋設立 1949福岡証券取引所に上場 2005伊勢丹の連結子会社に 2009最後の有価証券報告書

  6. 4.投資の図式化 IMF 日本国債☆   アメリカ国債☆  第三世界☆ 中央銀行・中央郵便局△ 広告・電力・鉄・製紙会社△     銀行・郵便局□ 百貨店等会社□ テレビ局□ 新聞社□ 個人○

  7. 5.福岡の宗教での試図化 カトリック 知識・信仰 プロテスタント イエスの方舟 集団 年中行事 自称 他称 百貨店 個人良投資家 個人 自然宗教 都市 中核国 行動・実践 周辺諸国 プロテスタンティズム倫理と資本主義精神+アフリカ・アジア・ラテンアメリカの物質

  8. Ⅱ.儀礼の研究

  9. 1.儀礼論と民族誌

  10. 2.呪術と宗教 呪術→宗教→科学という進化論

  11. 3.宗教の定義と類型 • 宗教とは、神聖すなわち分離され禁止された事物と関連する信念と行事との連帯的な体系、教会と呼ばれる同じ道徳的共同体に、これに帰依するすべての者を結合させる信念と行事である[デュルケム1991(1912):上86-87]

  12. 4.デュルケムの結論 • われわれは、この著の発端で、研究しようとしている宗教は、その中に、宗教生活のもっとも特色ある諸要素を含んでいる、と予告した。…われわれが研究した体系がどれほど単純であるとしても、われわれはこの中に、もっとも進歩した諸宗教の根底にもある、あらゆる偉大な観念と主要な儀礼的態度を再発見した。すなわち、聖と俗とへの事物の区分、霊魂、神話的人格、国民的な、あるいは、国際的な神性の観念、消極的礼拝とその誇張された形態である禁欲的行事、奉献とコミュニオンとの儀礼、模倣的儀礼、記念的儀礼、贖罪的儀礼等である。この体系には、本質的なものは何も欠如していない。したがって、われわれは、到達した結果が、トーテミズムだけに特定ではなくて、一般に、宗教とは何であるか、を了解する助けとなりうる、と期待していい[デュルケム1991(1912):下321]

  13. 6.象徴の効果と意味  儀礼:「儀礼象徴はそれじしんの原則をもっているのだということを、私は理解したのだ。象徴は、世俗的な振舞いのいかなるカテゴリーにも還元されないし、またそれによっては説明されない」 [Turner1975(1962)in竹沢1987] 儀礼象徴の両極性 価値やイデオロギーの極 (意味) 生理-身体の極 (効果) 象徴:「儀礼の構成分子」[ターナー1996(1969)]

  14. 7.ターナーのイソマ儀礼の結論 • 儀礼の効果論(≒心理機能主義)から意味論へ(e.g.C.ギアーツの解釈人類学) • 意味論から慣習論へ • 儀礼の構造 •   儀礼の場:原生林=秩序:混沌 •   象徴のセット(二項対立) •   象徴の(原理的)多義性 •   (全体論的)意味の一義性

  15. Ⅲ.椎葉神楽の研究

  16. 1.椎葉神楽 • フィールド:日本は宮崎の椎葉神楽(焼畑) • 儀礼:(尾手納)祭り • 状況:冬(冬至前後) • 社会機能:地域の神社の氏子の参集機会+観光収入機会 • プロセス:19971227,15:00-1228,07:38までの26演目 第一場面:「板起こし」~「御神屋」   第二場面:「一神楽」~「地割り」   第三場面:「おきえ」~「稲荷」   第四場面:「かんしん」~「火の神」

  17. 2.椎葉神楽:演目の分析

  18. 3.意味の析出

  19. 4.椎葉神楽:儀礼の構造 • 第一場面: 「板起こし」~「御神屋」 天・地・人(垂直軸)と右と左(水平軸)による空間の現れ • 第二場面: 「一神楽」~「地割り」 五方の地の分割・固めから三十三天=須弥山の登場 • 第三場面: 「おきえ」~「稲荷」 • 第四場面: 「かんしん」~「火の神」

  20. 5.椎葉神楽:儀礼構造の死角 • 行為者と観客の生きた動態はどうなってしまうのか? →パフォーマンス論 • 現在の神楽の姿をとるまでに経てきた歴史的な社会変容はどうなってしまうのか? →社会人類学の権力論、歴史人類学の生成論

  21. 6.椎葉神楽:沈黙・共鳴・自尊

  22. 7.椎葉神楽:パフォーマンス論

  23. 8.椎葉神楽:儀礼の生成論

  24. 9.全体像 • 自明な祭り ① 「祭り」 →自明感覚 • 生成する儀礼 ②学術系・産業系からの評価 ③「椎葉神楽」 →自尊感覚 • 現在の椎葉神楽 ④五感を共鳴させる →共鳴感覚

  25. Ⅳ.まとめ

  26. 1.都市から不可視化されたもの • 神主と芝荒神の対話 [飯嶋&徳安2000:62] 神主「・・・日本人なんしゅう天照大神宮を願成就奉る、四方を拝むれば、東に福寿門を建立し、春の景色を現かし、木の神の守護します・・・」 芝荒神「そもそも我は三宝荒神なり、汝がまなこに我を鬼人と見るか。昔ぢゃくそん、我がためにときたもう。経文にいわく、心静かなる時来んば、ほんちの如来、心荒れたつ時こんば三宝荒神・・・」 • 切り殺された異人の話 [小松1989:43]

  27. 2.生産性の主体 • 生産性を持った環境[井筒1991(1983):170] • 水には命があるのか[黒田2003:67] 「命があるものとないものとを分類している際、水や塩には命があるのかということが問題となった。塩と砂糖は見た目はよく似ているが、砂糖はサトウキビから作られるの命があることがすぐにわかった。塩は、植物や動物から採るのではなく、海水や岩塩から採るために、命がないということになった。しかし、水はむずかしい問題であった。水が腐るといった言い方をする場合もあるし、人間の体の半分以上は水分でできているといったことも言われている。そんな大切な水に命がないのだろうか」 主体としての自然 客体としての人間

  28. 3.高度経済成長期における宗教戦争と戦後神話?[総務庁統計局1997:26;経済企画庁1987;労働力調査2004]3.高度経済成長期における宗教戦争と戦後神話?[総務庁統計局1997:26;経済企画庁1987;労働力調査2004]

  29. 参考文献 アジア太平洋資料センター http://www.parc-jp.org/(最終閲覧2012年6月7日) 飯嶋秀治ほか1998『椎葉神楽調査報告書:尾手納の事例から』未発表 飯嶋秀治2011「経済学と人類学―個人投資家の事例から」、『九州人類学会報』第38号:103-112 飯嶋秀治&徳安祐子2000「栂尾神楽 生成する儀礼」、関一敏・竹沢尚一郎編『椎葉の祭り』九州大学文学部人間科学科比較宗教学研究室:12-102 井筒俊彦1991(1983)『意識と本質―精神的東洋を索めて』岩波文庫 岩田屋編集史経営委員会編1986『岩田屋経営 十年史』岩田屋 EDINET(Electronic Disclosure for Investors‘ NETwork) http://info.edinet-fsa.go.jp/(最終閲覧2012年6月7日) 黒田恭史2003『豚のPちゃんと32人の小学生』ミネルヴァ書房 小松一彦1989『悪霊論―異界からのメッセージ』青土社 総務庁統計局1997『我が国人口の概念』総務庁統計局 竹沢尚一郎1987『象徴と権力 儀礼の一般理論』勁草書房 「闘い続けた55年の記録」編集委員会編2001 『闘い続けた55年の記録 全岩田屋労働組合史』 「闘い続けた55年の記録」編集委員会 鶴見良行1982『バナナと日本人―フィリピン農園と食卓のあいだ―』岩波新書 ターナー、ヴィクター1996(1969)『儀礼の過程』冨倉光雄訳 新思索社 デュルケム、エミール1991(1912)『宗教生活の原初形態』古野清人訳 岩波文庫 ボードリヤール、ジャン1995(1970)『消費社会の神話と構造』今村仁司&塚原史訳 紀伊国屋書店 村井吉敬1988『エビと日本人』岩波新書

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