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再臨主の路程

再臨主の路程. (1968年~1981年). 3 レベル3. 21年(蕩減)路程(1960~81). 順理. ×. 準備されていた世界基盤を取り戻す. 1945年. 1981年. ワシントン大会 (76.9.18) ヤンキー大会 ( 76.6.1) ヨイド大会(75.6.7). 世界的7年路程. 逆理. 1975年. マディソン大会 (74.9.18) 全米21都市・32都市講演(73,74年) 米国へ( 71年12月) 国際勝共連合創設. 国家的7年路程. 1968年. 神の日 .

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再臨主の路程

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Presentation Transcript


  1. 再臨主の路程 (1968年~1981年) 3 レベル3

  2. 21年(蕩減)路程(1960~81) 順理 × 準備されていた世界基盤を取り戻す 1945年 1981年 ワシントン大会(76.9.18)ヤンキー大会(76.6.1)ヨイド大会(75.6.7) 世界的7年路程 逆理 1975年 マディソン大会(74.9.18)全米21都市・32都市講演(73,74年)米国へ( 71年12月)国際勝共連合創設 国家的7年路程 1968年 神の日  <創造原理は長子が三段階の成長期間を通過するのであって、次子では認めない>というサタンの讒訴を越えるために、人類のアベル(次子)の立場にあるメシヤはカイン圏(国家、世界)から長子圏を復帰する熾烈な戦いをもしなければならなかった。 世界巡回 聖地決定万物の日         子女の日父母の日 家庭的7年路程 統一教会 1960年 興南

  3. 第二次7年路程(国家的) 1960~67年 第一次7年路程(家庭 ・氏族的) この7年間は、最初の神を中心とした家庭である、文先生のご家庭(真の家庭)が、想像を絶する試練を受けた。さまざまな非難、中傷、誤解の中で文先生の願いは、韓夫人が試練に耐えて、乗り越えていくことであった。それゆえ、1968年1月1日「神の日」において、文先生は「この勝利したエバ(女性)を見て下さい」と涙の祈祷をささげられたのである。 このようにして真の家庭が確立され、祝福家庭が拡がり、神の氏族的基盤が築かれた。 1968~74年 第二次7年路程(国家的) 国際勝共連合創立アメリカ及び民主世界が共産主義に対抗できず、代わりにその使命を果たすため、文先生によって1968年設立された。それは単に反共を叫ぶだけではなく、共産主義思想の誤りを指摘し、真理を提示し、共産圏の人々を救っていくものである。1970年9月、日本武道館で53か国の代表250人、2万数千人が参加して世界反共大会(WACL)が行われた。

  4. 第二次7年路程(国家的) 久保木会長と勝共連合 慶應義塾大学時代、荒れる日本の世情に心を痛め、立正佼成会に入会。佼成会では青年部長、会長秘書として活躍した。1962年、「統一原理」と劇的な出会いをし、世界基督教統一神霊協会に入会。その後、会長に就任した。神を愛し世界を憂える真摯な姿を慕って、数多くの学生、青年たちが集うようになった。 共産主義勢力が荒れ狂っていた1968年、日本は滅びるという危機感のもと、国際勝共連合会長に就任した。「共産主義は間違っている」と日本共産党に対して公開理論戦を挑むなど、全国各地の大学や街頭で勝共運動を指導した。1970年にはWACL世界大会を東京で挙行。アジアの平和と安全の確立に大きく寄与した。共産主義の伸張によって守勢に立っていた保守・良識陣営からは「勝共に久保木あり」との賞賛が寄せられた。79年「スパイ防止法制定促進国民会議」を設立、国民啓蒙運動を展開。常に救国・救世運動の最前線に立って活躍した。

  5. 第二次7年路程(国家的)  氏族的基盤造成民族・国家がメシヤと一つになるみ旨の前に、メシヤ家庭と統一教会の祝福家庭たちの一体化の氏族基準が必須であった。それが、韓国における1970年から3年間の1200名祝福夫人の開拓伝道であった。文先生のみ言に涙で決意し、夫や子供を残して、開拓伝道の任地に出発した。 「皆さんは自分の愛する夫、また愛する子供を残して、その胸を引き裂かれるような思いをしながらも、ここにやってきました。それは先生を誰よりも愛するからです。それを先生は嬉しく思います。しかしながらこの先生はいつ倒れるか分からない。そういう立場にあることを皆さん知って下さい。先生はいつも危険にさらされています。そのために先生はこの胸から遺書を離したことがありません。それはもし先生が倒れたならばその死の最後の瞬間に、この人類に対して言い残すべき最後の言葉を胸に秘めて、いつも歩いているからです。皆さんが先生を誰よりも愛したとしても、皆さんの愛が先生にとどまるならば、この先生が倒れたときにはその愛の対象を失った皆さんの愛はどこにいくのか。愛する対象を失った皆さんの愛がみんな散り散りになるときにはこの祖国は一体どうなるのですか。だから先生を愛する以上に祖国を愛しなさい。そうしたならばたとえ先生が倒れたとしても、皆さんはその屍を越えて、祖国のために戦えるではないか。そうすればこの祖国が救われます。」

  6. 第二次7年路程(国家的) この1200名の三年開拓伝道が内的条件となって、天は南侵を食い止めることができたのである。1970~72年は韓半島の危機一髪の時であった。金主席は「1972年の60歳の誕生日はソウルで祝う」と発表していた。そのような情勢の中での悲愴な決意で行われた開拓伝道であった。 しかし祝福家庭が文鮮明先生に絶対的に従っていったので、それが内的勝利の条件となって、現れてきた展開がニクソン訪中である。北も中共の援助なく米国と戦っても勝ち目がないため、南侵を思いとどまらざるを得なかった。日本においても1970年代の初め、共産化の一歩手前まできていたので、もし韓半島が共産化されていれば直ちに日本も共産化されていたであろう。 メシヤの熱き涙の祈祷とそれと完全一体化した祝福家庭の精誠のゆえに、72年の冬(日本では浅間山荘事件が起こった。)は歴史的暖冬となった。ハンガン(漢江)が凍らず、軍隊の進路を遮ったのである。 国家的段階における中心摂理が勝共運動であった。国際勝共連合は韓国の軍隊、警察など数十万の人々を勝共教育していった。韓国は反共国家であったが共産主義を倒す理論がなかった。それを勝共理論で教育することによって国家のために奉仕し、感服させるまで来ていた。しかし当時の朴大統領の下にいたクリスチャンたちが強固に反対したためにどうすることもできなくなってしまった。メシヤと韓国国家が一つになる道は極めて困難となった。

  7. 第二次7年路程(国家的) 渡米キリスト教会の妨害により、北朝鮮で監獄に入られたのみならず、プサンからの再出発後、テグでの受難や梨花女子大事件、それ以降もキリスト教会と国家からの迫害が続いた。このままでは「第二次7年路程」を勝利できないため、再臨主と一つになれぬ韓国キリスト教の不信を代わりに蕩減復帰するために1971年12月アメリカに向かわれた。また、神が愛するキリスト教精神で建国されたアメリカを覚醒し復興させるために、渡米されたのである。 米国入国許可がなかなか下りない中、カナダで待機される文先生ご夫妻 「アメリカに最初に来た時、私はニューヨークに来て、ラッシュアワー時の五番街に立ってみました。そうしましたら突然涙があふれ出て仕方がありませんでした。私はエンパイア・ステート・ビルや世界で一番高い新しい貿易センタービルを見上げてみました。私はこれらのビルの中に神がおわし給うか自問してみたのです。ニューヨークはますます神のいない街となっていきます。犯罪の街です。美しい街は今やずたずたになっています。‥‥私は神に聞いてみました。「あなたがアメリカを祝福されたのはこの目的のためでしょうか」。」

  8. 第二次7年路程(国家的) 米国はキリスト教が力を失い、建国の精神が消えうせ、個人主義に毒され、麻薬・フリーセックスなど病める大国となっていた。そこで文先生は世界の10か国から教会員を集め、1972年2月からリンカーン・センターでの講演を皮切りに、アメリカの7大都市などで講演をされた。また、1973年10月から、「危機に瀕するキリスト教と新しい希望」と題する三日連続の講演が21か都市で行われた。そして、神に帰る以外に、すべての問題の解決の道がないことを訴えられた。

  9. 第二次7年路程(国家的) 科学者、教授が再臨主と一つに 文先生は72年、韓国に統一神学校と統一思想研究院を創立され、ニューヨークで第1回「科学の統一に関する国際会議」(ICUS)を開催。その後毎年、ノーベル賞受賞者などあらゆる分野の学者たちが一堂に会するようになった。基調講演で先生は、科学が人間社会の改善と繁栄のために貢献し、神を中心とする絶対価値を明確にすべきと語られた。 また、1973年には、現代文明の危機に関心を持つ学者たちを集め、世界平和の理想を実現する新しい方法を提案していく世界平和教授アカデミー(PWPA)が発足した。 統一思想(神主義・頭翼思想)とは、神の真理と愛を核心とする思想であり、右翼でも左翼でもなく、より高い次元において両者を包容する思想である。神の愛を中心として、共産主義からは、憎悪心、闘争心や物質主義を取り除き、民主主義からは、利己主義、自己中心主義を取り除いて、対立する両者を和解させ、神と人類の宿願である理想世界の実現に導くための思想が、統一思想である。さらに、人類の親である神の真なる愛によって、諸民族や諸宗教を和解せしめて、人類一家族の理念を実現し、人類の難問題を根本的に解決、永遠なる神の愛の理想世界を実現する神の思想である。

  10. 第二次7年路程(国家的) 「許せ! 愛せ! 団結せよ!」1972年6月、民主党本部への盗聴事件が発覚し、ニクソン大統領に対する糾弾の声が高まった。その中で文先生は、1973年11月にウォーターゲート事件に関する声明文をニューヨークタイムズなどに発表された。「アメリカは『我ら神を信ず』という精神に帰らなければなりません。ただ批判を続けていけば、アメリカは大きな危機に陥ってしまいます。アメリカは、ウォーターゲート事件を契機にキリスト教の伝統である愛と許しの心によって団結し、神のみ旨に生きなければなりません。許せ、愛せ、団結せよ」と。 ニクソン大統領との会見1974年2月1日、文先生はホワイト・ハウスに招待され、ニクソン大統領と会談された。先生は「お祈りから始めましょう」と言われ、祈られた。そして「アメリカに与えられた神の祝福はアメリカ人のためだけの祝福ではありません。祝福には必ず責任が伴います。その責任とは、神の摂理の中で世界救援のために貢献することです。‥」と語られた。

  11. 第二次7年路程(国家的) その後、文先生は2月から32か都市で「キリスト教の新しい未来」のテーマで3日連続の講演を続けていかれた。また5月には東京帝国ホテルで「希望の日」晩餐会を開催し、福田赳夫大蔵大臣をはじめ1700名を招いて、「為に生きる」のみ言を語られた。この時期、ニクソン大統領を中心とするアメリカと日本と韓国が神の摂理(メシヤ)と一体化していったならば、実体的カナン復帰の道が開かれるはずだった。ところが8月8日、ニクソン大統領が家族の意向で突然辞任してしまったために、天の計画は破綻し、インドシナ半島やアフリカでは次々に共産化が進んで多くの人命が犠牲になってしまったのである。 ニクソン大統領辞任後、74年9月18日にニューヨークのマディソン・スクェア・ガーデンで二万数千名を集めて「希望の日」大講演会が開催され、「キリスト教の新しい将来」のみ言を発表された。これを皮切りにアメリカの8大都市で講演会を開催し、10月には文先生が国会議事堂に招請され、特別講演を行なった。

  12. 『紳士・淑女の皆様、私は今夜この場に立ちました皆様に心から感謝申し上げたいと思います。私達はこうして今夜、このマディソン・スクェア・ガーデンの印象深い情景の中に、神の名の下にひとつに集わしめられたのであります。 今晩、私は「キリスト教の新しい将来」と題して語りたいと思います。しかし、その本論に入る前にひとつの前置きしておきたいと思います。私は皆様がすでに知っておられるようなことをくり返し言うためにこの場にやって来たのではありません。私はある新しいことを明らかに示すためにやって来ました。私は、神からの新しい啓示を皆様に分かちたいのであります。‥‥『紳士・淑女の皆様、私は今夜この場に立ちました皆様に心から感謝申し上げたいと思います。私達はこうして今夜、このマディソン・スクェア・ガーデンの印象深い情景の中に、神の名の下にひとつに集わしめられたのであります。 今晩、私は「キリスト教の新しい将来」と題して語りたいと思います。しかし、その本論に入る前にひとつの前置きしておきたいと思います。私は皆様がすでに知っておられるようなことをくり返し言うためにこの場にやって来たのではありません。私はある新しいことを明らかに示すためにやって来ました。私は、神からの新しい啓示を皆様に分かちたいのであります。‥‥ もし彼等が、彼が誰であるかを知ってさえいたならば、彼等は栄光の主を十字架につけはしなかったでありましょう。それは誤りだったのであります。イエス・キリストを殺したのは人々の無知と盲目であったのであったのです。 世界のクリスチャンはイエスの時に実際起ったことが何であったかという事の真相に目ざめていないのです。もし、神のひとり子をつかわす唯一の目的が彼の十字架に釘づけにすることであったとするならば、なぜ神は、まずはじめに、イスラエルの選民を備えるために時を費やされたのでしょうか?神にとってはそのひとり子を不信者やあるいは野蛮人達の中に送った方がずっと簡単であったでありましょう。かれらはもっとすみやかに殺し、救いはもっとすみやかにもたらされたでしょう。メシヤを殺すためならば、選民もイスラエルも何も必要ではなかったはずであります。旧約聖書に於て、神はくりかえしイスラエルが神の子の降臨によって栄光を受けるであろうことを約束しています。しかし、メシヤが来られた後、その選民の上に何が起ったのでありましょうか?かれらは罰せられ信じ難いまでの苦しみを受けたのであります。彼らの国は滅ぼされ、その民は世界中に散らされたのです。しかしそれはただ彼らが神のみこころにかなって生きなかったからなのであります。彼らは、メシヤを受け入れることが神のみこころであったときに、彼を拒否してしまったのです。‥‥』

  13. 米国摂理の勝利圏をアジアに連結 このように、文先生は72年からの3年路程で世界的キリスト教国であるアメリカ国民から歓迎され、一体化した条件が立てられた。この米国摂理の勝利圏を韓国とアジアに連結させ、第2次7年路程(国家的)を勝利に結実するため、1975年、米国摂理で活躍した国際統一十字軍(IOWC)が、 日本と韓国に来て全国を縦断し「希望の日」フェスティバルを行なった。 マディソン大会勝利のニュースが韓国に反響を与えた。韓国キリスト教会の反対により第2次7年路程は困難を極めていたが、世界の中心であるアメリカが歓迎した立場、すなわち国が認めなくても世界が認めたという立場に立ち、強固な国家の壁を打破することができたのだ。米国で勝利した上で、日本そして韓国に総攻撃をかけたのが、IOWCを動員しての韓半島上陸作戦であった。そしてその結実の摂理が国会議事堂のあるヨイドでの120万人大会である。これは韓国の歴史上、最大の集会となった。

  14. 第二次7年路程(国家的)  第二次七年路程勝利1975年6月7日にヨイド広場で「救国世界大会」が開かれ、世界60か国の代表千余名を含む120万人が参加した。そこで文先生は「共産主義は神を否定する恐るべき思想であり、人類を誤った方向に導くものです。これに打ち勝つには、真理に立脚した次元の高い精神的理念と思想武装によらなければなりません。檀君以来の優れた歴史と文化を持つ韓国は、神が導き守られた国として今後とも自由陣営の団結に貢献すべき」と訴えた。 この120万人の大会で政府と国民が支持し、文先生と一つになったことにより、2000年前にユダヤ国家とユダヤ民族とユダヤ教がイエス様を排斥したことを蕩減復帰し、実体的な国家基準を立てるようになったのである。 本来、第二次七年路程の期間は1968年1月から1974年12月までであった。しかし、摂理の展開からそれまでに勝利することが困難となったため、半年延長して1975年6月のヨイド大会でようやく第二次七年路程を終結することができたのであった。このような勝利的基準が立たなかった場合には、アジアは共産化の道を歩まざるをえなかったが、その危機を乗り越えて、第三次の摂理に出発することができたのである。

  15. 第三次7年路程(世界的) 1975~81年 第三次7年路程(世界的) ヤンキー大会 1776年の独立宣言から200年後に当たるのが1976年である。 2000年のキリスト教の歴史を象徴する重要な年であった。マディソン大会が蘇生期、ヤンキー大会は第二の立場の長成期であり、ワシントン大会が完成期である。 大会当日の6月1日、夕方近くなって激しい突風が吹き、大雨が降りだし、ヤンキー・スタディアムの会場は水浸しとなった。その時、会場から「ユー・アー・マイ・サンシャイン」の大合唱が始まり、兄弟姉妹たちが大雨の中で3時間近く互いに肩を組み、天に向かって歌い続けた。ブラスバンドも2時間演奏を続けていた。するとその雨が止み、人々がつめかけてきた。35分遅れで開幕となり、そこで先生は、集まった5万人の人々に「アメリカに対する神の希望」のメッセージを伝えたのである。 75年12月 米国上下両院合同招待記念講演

  16. 「私は、たった三年間でアメリカだけでなく、全自由世界において、知られなければならない、そういう責任があったのです。ですから、一九七六年、この戦いはまさに、神とサタンの最高の戦いとして、キャンペーンをはり、出発したわけであります。 ‥‥しかし、残念ながら予期しない雨でした。‥‥天の父は偉大な戦略家だから、もっと大きい長期的な戦略をもっているに違いない、ワシントン大会の勝利を目指しておられる天の父は、全てのことに対して、全く違った見方をしておられるに違いないと感じていました。‥‥ですからヤンキー大会が終わったその時から、四十日間、ワシントン大会のために全力投球したのです。評価をしたり、分析したり、そんな猶予もなく、弾丸のように突進したのです。次第に指導者たちもまとまってきました。先生と一体化して、ヤンキー大会のどういうところが悪かったのかと分析して、それから、私の指示で、もっと人との接触を深めること、心と心の触れ合い、心情的な繋がりを強調するようになりました。「私は、たった三年間でアメリカだけでなく、全自由世界において、知られなければならない、そういう責任があったのです。ですから、一九七六年、この戦いはまさに、神とサタンの最高の戦いとして、キャンペーンをはり、出発したわけであります。 ‥‥しかし、残念ながら予期しない雨でした。‥‥天の父は偉大な戦略家だから、もっと大きい長期的な戦略をもっているに違いない、ワシントン大会の勝利を目指しておられる天の父は、全てのことに対して、全く違った見方をしておられるに違いないと感じていました。‥‥ですからヤンキー大会が終わったその時から、四十日間、ワシントン大会のために全力投球したのです。評価をしたり、分析したり、そんな猶予もなく、弾丸のように突進したのです。次第に指導者たちもまとまってきました。先生と一体化して、ヤンキー大会のどういうところが悪かったのかと分析して、それから、私の指示で、もっと人との接触を深めること、心と心の触れ合い、心情的な繋がりを強調するようになりました。 そうして、バスを利用する、バスでたくさん動員出来るかが、ワシントン大会の勝利の鍵であるという結論になったのです。 私はこう思いました。「まさに、これはワシントンD・Cにおける宗教的な大会であるから、過去のあらゆる伝道集会の記録を破らなければならない」と。これが私の初めからの決意でした。私はワシントン大会が如何に恐ろしいものであるかということを、初めから知っていました。もし成功しなかったら、その結果というものは、まさに恐るべきものであるということを良く知っていました。」

  17. 第三次7年路程(世界的)   ワシントン大会 ワシントン大会は40日間の準備期間の中で成された。9月18日の歴史的大会に50万人の人々がワシントン・D.C.に集まってきた。そこで文先生は「アメリカと神のみ旨」というみ言を講演された。歴史の中で中心的立場に立ってきたユダヤ教とキリスト教と統一教会が一つになって世界の宗教を統一し、三つの宗教の基盤であるイスラエルとアメリカと韓国が一つになって世界の統一のために貢献すべきことを訴えられ、最後に人々にその決意を促された。「アメリカは神中心主義によって共産主義世界を解放しなければなりません。そして最後には、地上に神の国を造らなければなりません。明日ではもはや遅すぎるのです。アメリカは、もう神を悲しませてはなりません。今日、我々は全能の神に誓いましょう。『我々は神のみ意(こころ)を果 たします』と。『我々は決して再び神を苦労させるようなことはしません』と。」 ワシントン大会勝利によって、文先生は、神の長子としてカイン圏から世界的長子圏復帰を勝利された。さらに、2000年前に家庭、氏族、イスラエル民族、ユダヤ教、国家に阻まれたイエス様の恨みを解放された。メシヤと世界人類が一つになった条件によって、必ずみ旨が成就するという条件が立ち、1976年10月4日に「天勝日」が宣布された。

  18. 「‥供え物の最大なるものが、ワシントン大会の勝利だったのです。1976年9月18日は、復帰摂理において、正に全世界的な規模における「供え物の日」だったのです。ワシントン大会には、全世界の人類を象徴する、すべての人種が集まりました。そして、神がこの供え物を受け入れてくださるように心を合わせたのです。」「‥供え物の最大なるものが、ワシントン大会の勝利だったのです。1976年9月18日は、復帰摂理において、正に全世界的な規模における「供え物の日」だったのです。ワシントン大会には、全世界の人類を象徴する、すべての人種が集まりました。そして、神がこの供え物を受け入れてくださるように心を合わせたのです。」 「1976年は、劇的な輝やかしい勝利の年でした。ニュー・ヨークにおけるヤンキースタジアムの勝利は、同じ年の9月18日のワシントン大会へと発展し、その勝利は、神の摂理的勝利を最高頂へと引き上げました。ヤンキー大会とワシントン大会、とくにワシントン大会は、一番歓迎されない状況の中ですすめられました。マスコミは冷たく、レバレント・ムーンが何者であるかを調べ上げ、恐れを抱いていました。可能な限りの手段を使って、運動をくい止めようと努力しました。そのような不利の状況のもとに行なわれた大会は、そのことの故にかえって、より勝利に輝き、より価値あるものとなりました。」 「ワシントン大会は、レバレンド・ムーンのためのものではなく、神自体にとって、のるかそるかの大勝負であり、それだけに、先生以上に、神御自身が必死であることを知っていました。だから必ず神が働き、私たちはきっと成功するだろうということを知っていました。それが、その時の先生の確信となっていたのです。」

  19. 米国での迫害 76年に当選したカーター大統領は、在韓米軍撤退や人権外交など、共産主義の本質を見抜けず、世界は急速に共産化されていった。しかし、共産世界から民主世界を守れるのはアメリカ以外にないため、文先生は、真っ向から米国政府に対して批判せざるをえなかった。そこから、アメリカによる統一教会への激しい攻撃が始まった。 フレーザー委員会 民主党フレーザー下院議員が委員長となったフレーザー小委員会は、文先生の特別 補佐官の朴普煕氏に対して攻撃し、統一教会を追放しようとした。 1978年6月、朴普煕氏は逆にフレーザー議員を名誉毀 損で訴えたのである。選挙で、予想に反してフレーザー氏は落選した。

  20. 祝   福 1968年2月 430組 「430という数字は、世界的なカナン福地に向かった第3イスラエルの世界的出発を意味します」 1970年10月 777組 「777家庭を祝福することによって、どのような民族同士でも血統的に結ぶことのできる超民族的な時代に入りました」 1975年2月 1800組 本格的な国際祝福時代の幕開けと同時に、第3次世界路程が始まり120か国に宣教師が派遣された。 1800組国際合同結婚式 777組祝福家庭を中心とする1200名が家庭を犠牲にして開拓伝道に出発したように、1975年4月から、1800組祝福家庭を中心として世界宣教に出発した。韓、日、欧米の三人が各国で活動。1980年笹本正樹宣教師、タンザニアで殉教。

  21. 世界基盤造成 1975年、日本で世界日報、1977年アメリカで日刊新聞「ザ・ニューズ・ワールド」が発刊された。1978年10月にニューヨークで、第1回世界言論人会議が開催され、世界言論人協会(WMA)がスタート。1977年には、米国キリスト教会が合同して社会活動のための全国会議(NCCSA)を、さらに世界で貧困、栄養失調、病気に苦しむ人々のため、国際救援友好財団(IRFF)を設立。 1980年3月に宗教家、神学者たちが参加する新超教派研究協会(New ERA)を設立。1980年に中南米の国々の緊急の要請に応えて、共産主義と闘うラテンアメリカのためCAUSAインターナショナルを設立。 IRFF 現在は電子新聞に方向性が拡大している。

  22. 21年路程(1960~81年) サ 神 ア エ 父 母 子 子 聖婚 1960 家庭 家庭 氏族 氏族 神の日 1968 国  家 国  家 ヨイド大会 1975 世     界 世     界 ワシントン大会 1981  御還暦 (1980)

  23. 21年路程 概要と考察 1945年第2次大戦後、再臨主(真の父母)を、人類を代表する子女の立場に立っていた韓国キリスト教が、真の父母を心からお迎えし一体化していたなら、米国を中心とする世界キリスト教と国連が役割を果たして、実体的カナン復帰が7年間で成就していた。 このように、悠久なる歴史(復帰摂理歴史)の目的は、メシヤ降臨と人類の一体化、すなわち、父母と子女が一つになることにある。 来られた真の父母はやむなく、メシヤから洗礼ヨハネの立場に下りて、1945年から85年までの荒野40年路程を、人類の(特にキリスト教の)罪の蕩減の為に苦難の十字架を背負われて歩まれたのである。悲しいかな、そのキリスト教から言うに言えない迫害を幾重にも受けられても、許し、怨讐を愛し代理蕩減の道をひたすら歩まれた。 この40年路程の中で、失った世界基盤を、家庭、氏族、民族、国家、世界へと自ら蕩減復帰して勝利されたのが、21年路程であった。 不理解と誹謗・中傷とあらゆる妨害の中を、文先生一人から21年で世界的勝利基盤を勝ち得たことはまさに奇跡であり、神が共にあったことを実証したのである。 この21年路程の中にも、実体的カナン復帰の道、すなわち神の長子(メシヤ)がサタン国家主権に勝利する摂理が幾度も訪れた。その希望の日を胸に多くの青年たちが学業も捨て、走り続けてきたのだ。朴大統領、ニクソン大統領に関して展開された摂理、日本の5万・50万摂理等々であり、ワシントン大会はメシヤが世界基準(民主世界)で勝利した決定的な天の勝利の日となったのである。

  24. 引用文献・サイト 「真の御父母様の生涯路程」(光言社) 統一教会Webサイト 歴史編纂委員会Webサイト 世界日報Webサイト 再臨主を中心とする復帰摂理Webサイト

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