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文明論概論 10. 中世シチリア王国における 文明の共存 (高山博の研究による). 12 世紀地中海世界. サン・カタルド教会(右). サン・カタルド教会. アラビア語、ギリシャ語、ラテン語、 ヘブライ語. シチリア王国の2つの歴史的意義. 1 12 世紀ルネサンスへの貢献(優れた東方文化のヨーロッパへの輸入基地としての役割) 2 ヨーロッパにおける近代行政制度の発展に対して果たした役割 3(付加的重要性) 12 世紀地中海における商業活動・経済活動の中心の一つ 高山博 『 中世シチリア王国 』 現代新書、1999による. 歴史研究におけるシチリア王国の 重要性.
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文明論概論 10 中世シチリア王国における 文明の共存 (高山博の研究による)
アラビア語、ギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語アラビア語、ギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語
シチリア王国の2つの歴史的意義 • 1 12世紀ルネサンスへの貢献(優れた東方文化のヨーロッパへの輸入基地としての役割) • 2 ヨーロッパにおける近代行政制度の発展に対して果たした役割 • 3(付加的重要性)12世紀地中海における商業活動・経済活動の中心の一つ • 高山博『中世シチリア王国』現代新書、1999による
歴史研究におけるシチリア王国の重要性 1)人類の経験としての文化交流と異文化接触の観点から重要な研究の場を提供する(ノルマン人の冒険物語としてではない) 2)三つの文化的要素を同じ文脈の中で比較することが可能 ・ラテン・カトリック文化 ・ギリシャ・東方正教文化(ビザンツ) ・アラブ・イスラム文化の3つが共存 3)ビザンツ史、イスラーム史、ヨーロッパ中世史を接合し、三つの文化圏を包括的に認識するための枠組み作りを可能にする • 「わたしたちのヨーロッパ理解を大きく転換させてくれる過去への扉だ」(17ページ)
ノルマン・シチリア王国誕生から滅亡まで 1130年 シチリア伯ロゲリウス2世(1130-54)(参照:王国の為政者たち) 2代目:ウィレルムス1世(ロゲリウス2世の息子、1154-66) 3代目:ウィレルムス2世(ウィレルムス1世の息子、1166-89) 国政はファミリアーレス・レギス(王国最高顧問団、別ページ参照)が担う 1190年 レッチェ伯タンクレドゥス即位、1194年死亡 1194年 神聖ローマ皇帝ヘンリクス6世がシチリアを支配(事実上、シチリア王国の終わり) 1250年 フレデリクス2世(1197年、3歳でシチリア王、1212年ドイツ王、1220年神聖ローマ皇帝)の死
宰相の属する文化(王国統治を支える異教徒、異邦人)宰相の属する文化(王国統治を支える異教徒、異邦人)
王妃 • スペイン(カスティーリャやナバーラの王女) • イングランド王女 • フランス(ブルゴーニュ公の娘、レテル伯の娘) • マルガリータ(摂政、ウィレルムス1世の死後、国王が12歳で即位したため)
12世紀ルネサンスとシチリア • ハスキンズ『12世紀ルネサンス』(1927年) • ギリシャ語、アラビア語の哲学書、自然科学書がラテン語に翻訳された • ヘンリクス・アリスティップス(大宰相マイオの暗殺以後、王国最高顧問)ーープラトン『メノン』『ファイドン』、アリストテレス『気象学』(ギリシャ語からラテン語に翻訳) • エウゲニオス(ドゥアーナ・バーローム長官)ーープトレマイオス『光学』(アラビア語からラテン語に翻訳) • アデラルドゥスーーエウクレイデス(ユークリッド)『原論』(全15巻)(アラビア語からラテン語に翻訳)ーー西欧の学問世界に大きな影響
異文化共存はどうして可能だったか • キリスト教の寛容性ではない • 「キリスト教徒が宗教的・文化的に寛容だったからではありません。強力な王権がイスラーム教徒を必要とし、彼らに対する攻撃や排斥を抑制していたからです。」(文明の共存の道を求めて、72ページ)
コルドバのメスキータ • 8世紀まで カトリックの教会 • 8世紀以降 モスク(メスキータ) • 13世紀 モスクからカトリックの教会堂へ改修