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貨幣・共同体・胎児

貨幣・共同体・胎児. 大阪大学 経済学研究科 友 部 謙 一. 「異人殺し」伝承.  昔、ある村に六部がやってきた。六部はたくさんのお金をもっていた。ある家で、その六部を泊めて、殺して、持っていたお金を奪った。その家は奪ったお金を元手にして、大金持ちになった。ところが、そのあと、その家に代々不幸な子どもが生れる。それを、ムラの人たちは六部の祟りだといっている。    (小松和彦 『 福の神と貧乏神 』192 頁). 解釈(小松和彦).

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貨幣・共同体・胎児

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Presentation Transcript


  1. 貨幣・共同体・胎児 大阪大学 経済学研究科 友 部 謙 一

  2. 「異人殺し」伝承  昔、ある村に六部がやってきた。六部はたくさんのお金をもっていた。ある家で、その六部を泊めて、殺して、持っていたお金を奪った。その家は奪ったお金を元手にして、大金持ちになった。ところが、そのあと、その家に代々不幸な子どもが生れる。それを、ムラの人たちは六部の祟りだといっている。    (小松和彦『福の神と貧乏神』192頁)

  3. 解釈(小松和彦) 第1段階:「自給自足的な村落共同体では、「富」の急速な変動が、内的な要因で生じることは少ない。大きな変動は共同体の外部からの働きかけ、とりわけ貨幣経済の浸透がなければ考えられない。略、(「福子」「憑きもの持ち」「座敷ワラシ」のいる)家も、いずれも市場経済=貨幣経済の原理にしたがって、その家の者たちの努力と才覚によって利潤をあげて、その結果、長者になることができたのだ、と分析することができる」  (190頁)

  4. 解釈(小松和彦) 第2段階:近世後期から近代にかけて 「ところが、そうした村落共同体にも、やがてムラの内部の経済変動が、「異界」ではなく、「貨幣」それ自体によってもたらされるらしいことを、はっきり自覚せざるをえない状況が訪れることになる。略、ほぼその頃に、そのような観念を表現化した伝承が、村落共同体で語りだされるようになった」(191頁)

  5. 解釈(小松和彦) 第2段階(続き): 「・・しかし、これまでの村落共同体を破壊してゆく貨幣に反感をいだいている人びとは、そうした成功者を村落からさまざまなかたちで排除しようとした。」(194頁) 「近世後期には、かれらの多くは、世を捨てた旅の修行者ではなく、世俗の世界での成功者たちの寺社参詣者、商売上手な宗教者や芸人たちであった。ムラの人たちはそのことを十分に知っていたのである。だから、殺害し、お金を強奪した」(195頁)

  6. 実際のメカニズム:近世後期 ・貨幣経済(原理)が問題ではない  「たとえ瓦礫のごとくものなりとも、これに官符の捺印を施し民間に通用せしめなば、すなわち貨幣となるは当然なり。紙なおしかり」(元禄期、荻原重秀) ・近世農村で貨幣=富を獲得する機会  余剰年貢米の販売:村役人と商人  賃金稼得:出稼ぎ・奉公・日雇 (everyday forms by Tokugawa peasants) ・近世後期農村(天明期=1780年代以降顕著?)  都市化・農村産業化により労働市場が活況を呈する  →賃金収入の多い農家ほど婦女子労働活動の強化、母体環境の悪化  →STDの蔓延(労働力移動など)  →死産率や乳児死亡率の上昇

  7. 村落(行政末端)の対応 ・天明飢饉以降、民勢は概ね好調であるが、  風紀紊乱(若者宿を中心に?)など共同体の変調も凄まじい。 ・堕胎・間引き=「嬰児殺し」(陋習)という言説をもちだし、その綱紀粛正に臨む。 ・実際に調査すると、小胎=少胎(流死産)や虚弱児出生が多いではないか。 ⇒慢性疾患として、花柳病か結核か?  「結核」は江戸時代にほとんど登場しない。例外は『飛騨O寺院過去帳の研究』(岐阜県高山町民)  都市/農村の違い? Workload/労働環境の違い?

  8. 人口学的には・・・ ・天明期以降の出生力上昇は、1920年代まで持続した(地域間格差の縮小、逆転)。 →どのようにして? ・1920年代後半、乳児死亡率の劇的な低下が始まる →どのようにして? 栄養?衛生?社会資本?政策?  結婚・妊娠・出産・育児というプロセスの変化をどのように説明するのかが、歴史人口学の大きな仕事 ・世帯の問題と社会の問題 →日本社会における世帯の位置付け(全体給付)

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