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翻訳・通訳の歴史(2)

翻訳・通訳の歴史(2). 明治時代以降の翻訳と通訳. ペリーと黒船. http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sumire/6663/m_rkouza/html/z_kurofune2.html#peri http://www.city.kashiwazaki.niigata.jp/hidamari/kurofunekan/kurofune.htm. 通弁方 中浜万次郎. 中浜万次郎像 http://www.linkclub.or.jp/~shinji-h/Kanrinmaru/Jyoin/Nakahama.html

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翻訳・通訳の歴史(2)

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Presentation Transcript


  1. 翻訳・通訳の歴史(2) 明治時代以降の翻訳と通訳

  2. ペリーと黒船 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sumire/6663/m_rkouza/html/z_kurofune2.html#peri http://www.city.kashiwazaki.niigata.jp/hidamari/kurofunekan/kurofune.htm

  3. 通弁方 中浜万次郎 中浜万次郎像 http://www.linkclub.or.jp/~shinji-h/Kanrinmaru/Jyoin/Nakahama.html http://www.yomiuri.co.jp/inpaku/81/essayw/040.htm

  4. 明治期の英学者   福澤諭吉   新渡戸稲造   夏目漱石

  5. 開国から明治へ • ペリー率いる米国艦隊の来港 • オランダ語が通じないことがわかる • 幕府は阿蘭陀通詞に英語を学ばせる • 1853年 米国から帰国したジョン万次郎を召し抱える • 1860年 米国に視察団を派遣(咸臨丸) • 欧米の社会、文化、技術などが日本に紹介される

  6. 福澤諭吉 • 緒方洪庵の適塾で蘭学を学ぶ • 江戸で蘭学塾を開く • 1859年 横浜見物で外国人にオランダ語で話しかけ、まったく話が通じないことにショックを受け、これからは英語が必要であることを実感し、英語を学び始める • 1860年 咸臨丸でアメリカに行く • 1861年 幕府の通訳官としてヨーロッパへ行く • 1864年 幕府の「翻訳御用」となる • 数々の著書により西洋事情を日本に伝える

  7. 福澤諭吉と英語 • 『福翁自伝』に見る英語学習への決意今まで死にものぐるいで蘭学の勉強をしてきたが横浜に来てみると少しも言葉が通じない。店の看板を見てもわからない。これまで実に無駄な勉強をしてきたものだとすっかり落胆した。今我が国は開国しようとしている。これからは英語が必要になる。洋学者として英語ができなければ仕方がない。横浜から帰った翌日、これからは万事一切、英語だと覚悟をきめた。(福澤諭吉、25歳の頃のことである)

  8. 福澤諭吉の主な著書 『西洋事情』 、『西洋旅案内』、『窮理圖解』 (科学入門書)、『世界國盡』『學問ノスヽメ』、『ひゞのをしへ』、『文明論之概略』 、『通俗民權論』、『通俗國權論』、『民情一新』 、『時事小言』 、『福翁自伝』 、『福翁百話』 、『福翁百餘話』 、『瘠我慢の説』 、『丁丑公論』 西洋事情を伝え、国民を啓蒙する目的

  9. 福澤諭吉の翻訳論 • 「世の中に原書が読めて翻訳のできぬ人は、唯むづかしい漢文のやうな訳文ができぬと云ふまでのことで、原文の意味はよく分つて居ることだから、其意味を口で云ふ通りに書くことは誰にもできませう。して見ればこの後は世の中の原書よみは其まゝ翻訳者になられる、そこで世間に翻訳書はふえて、其書は読み易く、何ほどの便利かしれません。翻訳書のをかしいと云ふのは、漢文のやうな文章の中にはなしのことばがまじるからこそをかしけれ、これをまるではなしの文にすればすこしもをかしいわけはありますまい」「明治七年六月七日集会の演説」(『福澤全集緒言』)より。

  10. 明治政府による英語教育 明治六年 開成学校 理学予科 体操と美術以外は全て英語による講義

  11. お雇い外国人 • 幕末以降~明治初期に「殖産興業」を目的として、欧米の先進技術や学問、制度を輸入するために雇用された欧米人のこと • 江戸幕府や各藩、明治以降は新政府もしくは各府県、あるいは民間によって招聘された。 • 幕末に各藩が競って外国人を抱えて雇用したために、お抱え外国人ともよばれることもある。

  12. 岩倉使節団 • 明治4年(1871年)に横浜港を船で出発し、サンフランシスコに上陸。アメリカ大陸を横断し、ワシントンD.C.を訪問した後、ヨーロッパへ渡り、各国を訪問した。ヨーロッパでの訪問国は、イギリス・フランス・ベルギー・オランダ・ドイツ・ロシア・デンマーク・スウェーデン・オーストリア・イタリア・スイスの12カ国に上る。

  13. 岩倉使節団の主なメンバー • 岩倉具視:特命全権大使、木戸孝允(桂小五郎):副使、大久保利通:副使、伊藤博文:副使、福地源一郎:一等書記官、 • 中江兆民:イギリス留学 、鍋島直大:イギリス留学、前田利嗣:イギリス留学、毛利元敏:イギリス留学、前田利同:イギリス・フランス留学、金子堅太郎:アメリカ留学、団琢磨:アメリカ留学 、牧野伸顕:アメリカ留学、黒田長知:アメリカ留学、鳥居忠文:アメリカ留学、津田梅子:アメリカ留学 、山川捨松:アメリカ留学、永井繁子:アメリカ留学、吉川重吉:アメリカ留学、木戸孝正:アメリカ留学、平田東助:ドイツ留学、長與專齋:ドイツ・オランダ留学 • 新島襄:通訳

  14. 岩倉使節団付通訳 新島襄 • 元治元年6月14日(1864年7月17日) 21歳。国禁を犯して函館から米船ベルリン号で海外に脱出。 • 慶応元年(1865年)7月 ボストン着、アメリカに密入国。ハーディー夫妻の援助をうけ、フィリップス・アカデミーに入学。 • 慶応2年(1866年)12月 アンドーヴァー神学校付属教会で洗礼を受ける。

  15. 岩倉使節団付通訳 新島襄 • 慶応3年(1867年) 24歳。フィリップス・アカデミー卒業。アーモスト大学入学。 • 明治3年(1870年) 27歳。アーモスト大学卒業。理学士の学位を受ける。 • 明治5年(1872年)初代の駐米公使となった森有礼によって正式な留学生として認可される。現地で木戸孝允と知り合い、襄の語学力に目をつけた木戸は、明治5年3月9日(1872年4月16日)から翌年1月にかけて、通訳として岩倉使節団に参加させる。

  16. 幕末から明治の文化輸入 • 欧米の先進技術や学問、制度を導入するためのお雇い外国人による教育 • 国費を投入しての視察団、留学生の派遣 • 庶民も巻き込んだ英語学習ブーム

  17. 明治時代の英語教科書の一例 Harry, will you come out ハールィーよ あろうか  汝は  来るで  外に  1      11     2    10   9 withme to fly my kite? 共に 私と  可く 飛ばす 私の  凧を 8   7   6   5    3    4 「ハールィーよ、汝(なんじ)は私の凧を飛ばす可(べ)く私と共に外に来るであろうか」

  18. 翻訳による新たな概念の導入 • 現代日本語に不可欠な語は翻訳語 • 「社会」、「個人」、「自然」、「自由」など • Societyの訳語 • 開国初期:侶伴・仲間・交リ・一致・組・連中・社中 • 福澤諭吉訳:交際・人間交際・世人・交り・国 • 1875年1月14日付け東京日々新聞の論説 • 福地源一郎が「社会(ソサイチー)」とカナを付してもちいた

  19. 翻訳による新たな概念の導入 自由:江戸期の最初の訳語は「わがまま」 • 中村正直訳『自由之理』1872年の冒頭部分 • ジョン・スチュアート・ミルOn Liberty 1859年を訳したもの • リベルテイ〔自由之理〕トイヘル語ハ、種々ニ用ユ。リベルテイ ヲフ ゼ ウーイル〔主意ノ自由〕(心志議論ノ自由トハ別ナリ)トイヘルモノハ、フーイロソフーイカル 子セスシテイ〔不得已〔ヤムヲエザル〕之理〕(理學家ニテ名ヅケタルモノナリ、コレ等ノ譯後人ノ改正ヲ待ツ。)トイヘル道理ト反對スルモノニシテ、此書ニ論ズルモノニ非ズ。 不得已〔ヤムヲエザル〕之理:後に「哲学的必然」の訳語

  20. 翻訳による新たな概念の導入 • 此書ハ、シヴーイル リベルテイ〔人民の自由〕即チソーシアルリベルテイ〔人倫交際上ノ自由〕ノ理ヲ論ズ。即チ仲間連中(即チ政府)ニテ各箇〔メイ/\〕ノ人ノ上ニ施シ行フベキ權勢ハ、何如〔イカ〕ナルモノトイフ本性ヲ講明シ、并ビニソノ權勢ノ限界ヲ講明スルモノナリ。(『明治文化全集』第5巻、日本評論社、1927年) ソーシアル:後に「社会」の訳語

  21. 明治期の翻訳文学(純文学) • 坪内逍遥(1859―1935) シェイクスピア • 森鴎外(1862-1922) リルケ、ドストエフスキーなど • 二葉亭四迷(1864-1909) ツルゲーネフ • 尾崎紅葉(1868-1903)グリム、モリエール、ゾラ • 小栗風葉(1875-1926) モーパッサン • 上田敏(1874-1916) フランス象徴詩

  22. 明治期の翻訳文学(大衆文学・児童書) • 黒岩涙香 『鉄仮面』 • 若松賤子 『小公子』 • 森田思軒 『探偵ユーベル』 • 日高柿軒 『フランダースの犬』 • 島村抱月 『人形の家』 庶民への翻訳文学の浸透

  23. ① 清(きよし) ② 斑(ぶち) ③ 徳じいさん  ④ 綾ちゃん ① ② ④ ③

  24. 『フランダースの犬』 明治の翻訳 • 1908年 日高柿軒訳「清と斑は世に頼る蔭なき寂しい身の上である。ふたりは兄弟よりも親しい間柄で、清はフランスとベルギイの境を流るるミウスの川岸に沿った田舎町アーデンスの生まれで、斑はベルギイの片田舎フランダース州の産である。……小屋の主は貧乏なよぼよぼした老人で、徳爺さんといふのである。固有名詞を分かりやすくするため日本名に。

  25. 「豪傑訳」と「翻案小説」 • 明治・大正時代の大衆小説の翻訳には原書に忠実でないものも多くあった。 • ストーリーや結末の改竄、省略や補足など、オリジナルを無視した翻訳は「豪傑訳」と呼ばれた。 • 外国の小説にヒントを得た創作もあり、これらを「翻案小説」と呼ぶ。 • 故意に翻訳臭(欧文脈)を用いた文体で創作された作品も出てきた。

  26. 翻訳文学による国語の変化 • 社会、政治、経済、自然科学などに用いられる語の大幅な増加 • かつての漢文脈にかわる欧文脈の登場中浜万次郎の英会話教科書にみられるように最初は英文も「訓読」しようとした。 • 英文訓読では、一語一語を対応する日本語の単語に置き換える直訳法を採る。 • 主語、指示語、人称代名詞、数量詞などが従来の日本文にくらべて大幅に増える。 「私は私の手の中にひとつのリンゴを持つ」的直訳

  27. 通訳事情・外国人居留地と買弁 • 1858年の日米修好通商条約など欧米5ヶ国との条約により、開港場に居留地を設置することが決められ、条約改正により1899年に廃止されるまで存続した。単に居留地ともいう。 • 当初来日する外国商人は中国の開港場から来る者が多く、日本は漢字が通用するので中国人買弁が通訳として同行してきた。 • 買弁は日本人と欧米人の間の商業上の交渉を通訳する役目を果たし、その後に来日した中国人商人とともに中華街を形成した。

  28. 大正から昭和へ • 明治時代から引き続き、外国文学の翻訳が盛んに行われた。 • 昭和初期までにいわゆる「世界の名作」と呼ばれる作品はほとんど翻訳されている。 • 外国の推理小説、探偵小説、児童文学の翻訳により、翻訳文学が庶民に歓迎される。 • 翻訳文学の影響を受け、推理小説や怪奇小説を発表する作家が出てきた。

  29. 明治期から昭和初期までの通訳 • 外交交渉は一部のエリートによって行われた。 • 職業通訳者はまだ出てきていない。 • 横浜の外国商館では買弁が活躍していた。 • 外国の領事館には日本語を話す通訳官が赴任していた(アーネスト・サトウ、ヒュースケンなどが有名)

  30. 戦争と通訳者 広島で牧師として働いていた渡辺潔は、香港捕虜収容所の通訳として召集された。そこで彼が目にしたのは、人間としての尊厳を剥ぎ取られ、劣悪な環境の中で十分な治療を受けられずに死を待つ捕虜たちの姿だった…。祖国と敵国との間で苦悶しながらも、潔は仲間の協力を得て、捕虜たちに医療品を届ける決意をする。それはクリスチャンとして聖書のことばに従い、自分のできる小さなことから平和をつくりだそうとする決意でもあった。 リアム・ノーラン著、菅野和憲訳『アンクル・ジョンとよばれた男』

  31. 戦争と通訳者 著者は昭和16年から敗戦の引き上げ時期まで中国の大連で関東局中国語通訳生(警察通訳)を務めた。この記録によると、大連には中国語・ロシア語の通訳生が駐在していた。 著者は主に現地中国人からの情報収集、中国八路軍との交渉、大連在住日本人の保護などの仕事をしていたことがわかる。時実弘著『幻影の大連』関東局中国語通訳生の記録

  32. 戦争と通訳者 アメリカのロスアンゼルスに生まれた天羽賢治は、大学を日本で過ごした後、ロスアンゼルスの加州新報で日米両国の文化を理解した新聞記者として手腕を発揮する。新聞記者として脂が乗ってきた最中に日米開戦となる。日系人であるが故に家族全員がマンザナール強制収容所に入れられ、大きな屈辱を味わう。 日本人として生きるべきか、それともアメリカ人としてアメリカに忠誠を尽くすべきか悩んだ末、語学兵に志願し太平洋戦線へ向かう。日本が敗戦した後、賢治は進駐米軍の言語モニターとして極東軍事裁判に臨む。モニターという責任の重圧と家庭不和が重なり、心も体も衰弱し、判決後に拳銃自殺を遂げる。 (山崎豊子『二つの祖国』)

  33. 戦争と通訳者 • 戦争、紛争時には従軍通訳者が必要。 • 軍による強制的な徴用など、他律的に通訳者として使われる例と、自律的に(自ら志願して)通訳者となる例。 • 二つの文化、二つの祖国の狭間で悩むことも。 • 渡辺潔(『アンクル・ジョンとよばれた男』)と時実弘(『幻影の大連』)に描かれた通訳者の姿は「通訳」という業務範囲にとどまらない。

  34. 近現代の通訳の歴史 • 日本では第二次世界大戦後に通訳の需要が飛躍的に伸びてきた • 極東国際軍事裁判(東京裁判) • 日本で最初に同時通訳が行われた裁判 • 日系人が極東軍事裁判で同時通訳のモニターを担当 • 進駐軍との折衝 • アメリカ進駐軍のために通訳を行う人材が集められた • アメリカ大使館勤務にあった西山千氏も • 日本生産性本部の代表団派遣随行同時通訳者 • 村松増美 『私も英語が話せなかった』

  35. 日本生産性本部の視察団派遣 • 1957年、米国産業界視察代表団を派遣 • 「昭和の岩倉使節団」とよばれる • 日本国内で日英通訳を行なう人材を募集 • アメリカの国務省で通訳訓練 • 当時、日英両国語間では語順が違いすぎるため同時通訳は無理だとの主張 • 1951年ごろ、西山千氏が進駐軍でウィスパリング形式の同時通訳をしていた • 生産性本部で通訳を行なった通訳者が帰国後に日本で初の通訳者養成学校を設立

  36. 世界の同時通訳の歴史 • 同時通訳の始まり • 1926年、IBMが同時通訳装置を開発 • 1927年、ジュネーブの国連会議で初めての同時通訳 • 1928年から、旧ソ連においてコミンテルン(共産党国際組織)で利用 • 1935年、当時のレニングラードで開催した国際生理学会でパブロフの演説が英仏伊独語に同時通訳 • 1945年、ニュールンベルグ裁判、極東国際軍事裁判 • 現在国連では公用語である英語、フランス語、スペイン語、中国語、ロシア語、アラビア語の同時通訳

  37. アポロ宇宙飛行の通訳 • NHKで7号から17号まで四年間にわたって放送 • 米国で育った西山千氏が担当 • 最初は同時通訳は出演者だけに聞こえていた • その後、同時通訳者の声をそのまま放送 • アポロ8号から通訳者が画面に出るように • 視聴者から同時通訳をしている機械翻訳装置はどんなものかという問い合わせがあったため • このアポロの同時通訳によって日本国中に通訳者の存在が知られることになった

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