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11 ・平等と公平. 2011.06.30. 関東学院・文化人類学(民族誌). 「近代」と「国民国家」 (1). 前期後半で述べてきたような「マイノリティの同化」の問題や「ラベルを貼って差別する」という問題が顕著になったのは、 近代 という時代において、 国民国家 という制度が整えられたことと深く関係している 「近代」も「国民国家」も、そのなかで 「多様性」を否定 し、 できるだけ均質な空間 を作ろうとする傾向をもっていた 標準語をつくって、全国で同じ言語を話させよう 地域ごと・民族ごとの独自の文化を消し去って、全国を同じ文化にしてしまおう
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11・平等と公平 2011.06.30. 関東学院・文化人類学(民族誌)
11・平等と公平 「近代」と「国民国家」(1) • 前期後半で述べてきたような「マイノリティの同化」の問題や「ラベルを貼って差別する」という問題が顕著になったのは、近代という時代において、国民国家という制度が整えられたことと深く関係している • 「近代」も「国民国家」も、そのなかで「多様性」を否定し、できるだけ均質な空間を作ろうとする傾向をもっていた • 標準語をつくって、全国で同じ言語を話させよう • 地域ごと・民族ごとの独自の文化を消し去って、全国を同じ文化にしてしまおう • なぜそうしたのか? というと、その方が国家を運営するうえで「効率的なシステム」だから。例外が少なく、同じような人間の集まりの方が、管理しやすいから。
11・平等と公平 「近代」と「国民国家」(2) 多様・雑多 均質化・画一化 =「くくり」 多様化 & さらなる画一化
11・平等と公平 多様性の共存 • 戦前に行なわれた「同化による画一化」が、そこに巻き込まれた人々にとっては決して幸せな状況をもたらさなかった、という反省を踏まえると、「多様性の共存」という方向性について考える必要がでてくる • 「私はわたし、あなたはあなた、お好きにどうぞ、勝手にするよ」的な状態(かりにそれを並存と呼ぶ)←→「互いのことをよく知って、理解・尊重しながら一緒に暮らそう」的な状態(かりにそれを共存と呼ぶ) • ただ単にいろいろなものが「並存」している状態でよいのだろうか? ……結局のところ「強い」集団に「弱い」集団が呑み込まれる危険性を排除できない • 「並存」状態をコントロールして、意識して「共存」することを考えるべきなのだろうか? ……ただし過度の介入は「同化」や「逆差別」の状態も招くかもしれない
11・平等と公平 平等・公平・差別 • ここで「集団間」の関係を表わすと思われる「平等」と「公平」ということばに注目する • 平等:かたよりや差別がなく、すべてのものが一様で等しいこと。[広辞苑第5版] • 公平:かたよらず、えこひいきのないこと。[広辞苑第5版] • cf. 差別:差をつけて取りあつかうこと。わけへだて。正当な理由なく劣ったものとして不当に扱うこと。[広辞苑第5版] • 一見すると違いがないように見える〈平等〉と〈公平〉であるが、実は大きく異なる概念である
11・平等と公平 「平等」概念の再定義 • 平等の本質は「すべてのものが一様で等しい」という点にある • 「平等」は、端的には、政治に参加する権利(参政権=投票権)を、だれでも一人につき等しく一票与えよ、という考え方から生まれている。 • cf. 納税額による参政権制限の撤廃、性別による参政権制限の撤廃の歴史 • その意味で、「平等」は、個に対する0か1か(yesかnoか)というデジタルライクな概念となる • cf. 小学校の給食における「平等」と「公平」
11・平等と公平 「公平」概念の再定義 • 公平の本質は「えこひいきのないこと」という点にある • 統一基準下での0/1で表わされる「平等」に対し、「公平」は、理念的にはあらゆる変数を考慮したうえでもっともバランスのとれた状態をめざすことを意味すると考えられる • cf. (理想的な)文化相対主義 • その意味で、「公平」は切れ目のないアナログライクな概念となる • 0か1か、YesかNoか、ではなく、0~1の間のさまざまな値(0.3とか0.72とか0.99とか)を取り得る • cf. 異文化理解は0よりは10、10よりは30、と、実現不能な100の状態へと少しずつ登っていくプロセスである
11・平等と公平 「平等」/「公平」
11・平等と公平 「平等」概念の拡張 • 「多民族国家における民族の平等」や「明治の『四民平等』」、「男女の(社会的地位の)平等」なども、基本的に0 / 1の考え方に基づいている。ただし、個に対してではなく、集団に対して。 • しかし、「平等」は基本的に「個」に適用される概念で、「集団」に対して適用するのは適切ではない • 多民族国家の民族問題あるいは、男女不平等問題がかかえる問題点は、主にこの「集団への平等概念の適用」が原因となっていると考えられる • cf. ラベルを貼ること・ひとくくりにすること
11・平等と公平 「平等」概念の問題点 • 「平等」は、要素間・要素内の差異を認めない。そのことがよい結果をうむ場合もあるが(たとえば「不平等」の是正)、逆に悪い結果(たとえば「悪平等」)をうむ場合もある。 • さらに、もともと問題が差異を前提としている場合(たとえば民族問題や男女問題)、デジタルライクな「平等」の実現は、けっして問題の解決を意味しない。そこで求められるのは、実はアナログ的な「公平」の実現である。
11・平等と公平 集団に平等を適用するジレンマ • 国連総会は1国1票である---平等原則の適用? • 人口11,000人のツバル(トゥヴァル)と人口13億の中華人民共和国とが、同じ1票でいいのか? • といって、じゃあツバルは11,000票、中国は13億票ならいいのか? • cf. EU の持ち票制度(25カ国で321票)=後述 • ウクライナ、ベラルーシは1945年10月の国連創設時からのメンバー(45年2月のヤルタ会談で、スターリンはソヴィエト連邦全15共和国の加盟を要求したが、米国が当時の48全州も参加すると対抗したため、ソ連が譲歩した結果といわれる) →「1国」はどこまで? • こうした場合、1人1票という「個人への平等」適用にみられた明快さは失われる
11・平等と公平 集団への不適切な平等適用(1) • ある地域の中学3年生の男女比が55:45であった。 • そこで、公立高については、合格者の男女比を55:45にすることが義務づけられた。 • たまたまある高校(定員100)では、男女それぞれ100人ずつで2倍の競争率となった。 • 男女の得点分布は等しかったので、2の義務がなければ、男50・女50が合格するはずだった。 • けれども2の規定により、男55・女45の合格者発表となった。女46位は、男55位よりずっと高い点数だったが、不合格となった。
11・平等と公平 集団への不適切な平等適用(2) • 実は、一見正しそうに見える前スライドの2(合格者の男女比を55:45にすることが義務づけられた)が問題 • 入試は個人の能力をみるのが目的であるから、そこに「男女」の視点を持ち込み、男女間での合格機会の平等を図ってしまったことがズレを生んだ • たとえば、血液型に応じてO型4割・A型3割・B型2割・AB型1割という合格比率を設定するのと同じくらい、この男女合格機会の平等はおかしなことをやっている(が、それが気づかれることは少ない)
11・平等と公平 集団への不適切な平等適用(3) • 同様に、人口の男女比が49:51だからといって、議員比率や職員比率をそれに合わせようとするのも、少なくとも「平等」の観点からは、不適切 • それをするのは「平等」ではなく「公平」の役割であって、平等=機械的な比率配分ではなく、個々の(ケースごとの&個人ごとの)状況に応じた配慮が必要となる • cf. EUの持ち票制度(25カ国中、ドイツ・フランス・イギリス・イタリアは29票、スペイン・ポーランドは27票、オランダは13票、ギリシャ・ベルギー・ポルトガル・チェコ・ハンガリーは12票、スウェーデ ン・オーストリアは10票、デンマーク・フィンランド・アイルランド・スロバキア・リトアニアは7票、ルクセンブルグ・ラトビア・スロベニア・エストニア・キプロスは4票、マルタは3票)
11・平等と公平 男女平等? • 男性のみ・女性のみへの機会提供が、もう一方の性に拡大される、という意味ではあり得る • ただそれを男女「平等」というのが適切かは疑問……「男女区別なし」あたりか? • 男女比率に応じて「平等」を実現することが妥当であるケースはおそらくほとんどない • ということは、「男女公平」がいいのだろうか? • そもそも、そこでことさらに「男女」に注目する必然性を見いだせるかどうかが鍵 • 血液型や12星座に応じた比例配分がナンセンスであるのと同様、男女に応じた比例配分はたいがいの場合ナンセンス • ほんとうは「その観点からは男女区別なし」ではないか • 区別すべき点・そうでない点を見極めることの重要性
11・平等と公平 民族・文化の共存と「区別なし」 • 民族や文化の問題で、「きちんと区別をつけるべきところ」と、「そこは区別しなくていいところ」はどこだろう? • しばしば重要な「区別すべき点」は〈言語権〉に関するもの……小学校などでマイノリティの言語学習権を認めたり、公的機関の窓口でマイノリティの言語使用権を認めるようなもの • しばしば議論の対象となるのは〈参政権〉に関するもの……議員の「マイノリティ枠」を認めるべきか否か • そもそも「いくつの民族・文化」が選択肢となるのか、は極めて重要かつデリケートな問題 • 民族調査がかつて行なわれたことのない日本の状況は、「寝た子を起こすな」的な側面が強い