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「国際経済」-産業からみた世界地図1 携帯電話産業の進化プロセス ーー日中比較を中心に. 丸川知雄(東京大学社会科学研究所). 研究の動機. 世界全体で携帯電話加入者は 43 億人以上、日本では 1 億人以上。(中国 6 億人、インド 4 億人) 産業の「進化」をみる上で格好の研究対象となりうる。( 10 年ほどの期間のうちに、日本と中国で大きく異なる産業に変化した) 特に日本の携帯電話産業のあり方は特殊で、日本の業界では 2007 年頃から「日本の携帯電話産業はガラパゴス諸島」との声が広まっている。. 1.日本の携帯電話産業. ドコモ. au. 専用端末. 専用端末.
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「国際経済」-産業からみた世界地図1携帯電話産業の進化プロセスーー日中比較を中心に「国際経済」-産業からみた世界地図1携帯電話産業の進化プロセスーー日中比較を中心に 丸川知雄(東京大学社会科学研究所)
研究の動機 • 世界全体で携帯電話加入者は43億人以上、日本では1億人以上。(中国6億人、インド4億人) • 産業の「進化」をみる上で格好の研究対象となりうる。(10年ほどの期間のうちに、日本と中国で大きく異なる産業に変化した) • 特に日本の携帯電話産業のあり方は特殊で、日本の業界では2007年頃から「日本の携帯電話産業はガラパゴス諸島」との声が広まっている。
1.日本の携帯電話産業 ドコモ au 専用端末 専用端末 専用部品 専用部品 i-mode(専 用コンテンツ) EZweb(専 用コンテンツ) 専用音楽ダウン ロードサービス 専用音楽ダウン ロードサービス 通信事業者(ドコモ、au、ソフトバンク等)による「垂直囲い込み」の構造
専用の部品・ソフトウェア • 携帯電話端末ごとに新規に部品を多数開発している。 • 基幹的なIC(ベースバンドIC,アプリケーション・プロセッサー)まで特定事業者向け専用であることもある。 • ソフトウェアは開発に要する労力が大きいため、企業間で共通化する動きが出ているものの、あくまでドコモ向け端末どうし、au向け端末どうしの共通化にとどまる。
高級機中心の市場 • 日本では携帯電話端末が多数の機能を持った高級機に偏った構造になっている。 • NTTドコモの場合、2007年度の携帯電話調達コストは1台につき44691円。一方、端末販売価格は21236円。世界には50ドル以下の端末もある。 • 2009年3月現在、ドコモ、au、ソフトバンクから売り出されている端末113種類のうちワンセグテレビが視聴できるものが68%。他におサイフケータイ、GPS、高画素のカメラなどが搭載されている。 • 世界ではエントリー機が54%、ミドルレンジ機が28%を占めるのに対して日本はこれらがほとんどない。
かつて世界シェアが高かった日本の携帯電話メーカーは、いまは日本ローカルのメーカーとなり、世界でのシェアを落としている。かつて世界シェアが高かった日本の携帯電話メーカーは、いまは日本ローカルのメーカーとなり、世界でのシェアを落としている。
2.中国の携帯電話産業 中国移動 聯通 端末メーカー 端末メーカー 端末メーカー 業界にリーダーがいない。 コンテンツは囲い込まれていない。(例えば音楽は専用サイトからダウンロードしない。) 部品は共通のものを利用 EMS EMS 携帯電話 設計会社 携帯電話 設計会社 ICメーカー ICメーカー
開発機種数の比較 日本の場合:2006年6月時点で発売されている端末(PHSを含むが、カードは含まない)は全部で83機種
中国では同じ2006年6月に少なくとも1460機種販売されていた。中国では同じ2006年6月に少なくとも1460機種販売されていた。
ブランドメーカーのもの以外に約1万機種、年5000~7000万台の規模の「ヤミケータイ」が存在するブランドメーカーのもの以外に約1万機種、年5000~7000万台の規模の「ヤミケータイ」が存在する 2006、2007年の携帯電話販売台数
「ヤミケータイ」とは何か? • 中国政府は携帯電話生産に対して2007年まで許可制を実施していた。許可を得ずに生産されたのが「ヤミケータイ」 • 2007年以降は携帯電話生産は自由になったものの、端末の認証は必要。そうした認証を受けず、脱税などもしているのがヤミケータイ。
日本にヤミケータイが存在しない理由 • 日本では電話機と通信サービスが抱き合わせ販売。 • 日本では電話機と通信サービスが分離できないが、中国では抱き合わせ販売は一部しかなく、電話機の単独販売が一般的。 • 携帯電話設計を専門に担う会社が存在し、携帯電話を簡単に設計できるICも存在する。そうした環境のおかげでヤミケータイが育つ
「ヤミケータイ」生産を支えるインフラ:深圳の電子部品市場「ヤミケータイ」生産を支えるインフラ:深圳の電子部品市場
3.日本市場が特殊になった経緯 第1世代:移動通信の技術標準競争の始まり • 移動通信は1979年に日本でサービス開始、北欧で81年、アメリカでは84年にサービスが始まった。 • 開始から90年代半ばまではアナログ方式による通信→「第1世代」 • 先進各国でそれぞれ移動通信の研究開発がなされ、バラバラの技術標準が採用された。 • 日本はNTT方式、アメリカはモトローラとAT&TのAMPS、イタリア、ドイツ、フランスもそれぞれ独自に。 • 北欧は1969年から移動通信を共同開発し、共通・公開の技術標準NMTを採用。
多くの通信事業者に採用されたNMTとAMPS • NMTは外国企業も参加できる公開性と初期の加入者の伸びに支えられ、北欧以外の国でも採用された。 • AMPS/TACSはアメリカという広大な市場をベースとしていることから、他国も注目し、イギリス、香港、カナダ、韓国などがすぐに採用。 • NTT方式は、NTTが規格を十分公開しなかったこともあって、他国に採用されず。
第1世代(1991年)の移動通信世界勢力図 NMT AMPS/TACS CNetz RC2000 RTMS NTT
第2世代 (1993-現在): ヨーロッパの地域標準がグローバル標準に成長した • 第2世代はディジタル技術を採用 • 全世界の携帯電話加入者は2900万人(1993年)から13億人(2003年)に成長 • ヨーロッパは共通の標準GSMを採用し、GSMは2005年末現在世界の220カ国・地域に採用されている。 • 主要国でGSMを採用していない国は日本、韓国、ミャンマーぐらいである。
第2世代(2005年現在)の移動通信世界勢力図 GSM CDMA PDC
欧州のGSMが世界に普及し、日本のPDCは日本でしか採用されなかった。欧州のGSMが世界に普及し、日本のPDCは日本でしか採用されなかった。 • GSMはEU統合のプロジェクトの一つとして取り組まれた。 • 日本の郵政省は1991年にPDCを日本全体の技術標準と定め、アジアに売り込みを図った。 • なぜGSMは成功し、PDCは日本だけに留まったのか? ①GSMの方が1年先行した。②GSMの方が詳細な仕様書を公開した。③GSMは国際ローミングに配慮したシステムだった。(SIMカードと端末を分離できる) • GSMの基本特許はノキア、モトローラ、エリクソンなど欧米メーカーが保有。日本メーカーはGSM端末を販売するには端末価格の6~10%の特許料を支払う必要があった。
アジアにおける第2世代の技術標準 GSM CDMA PDC
CDMAの登場と韓国メーカーの躍進 • GSMやPDCより画期的な通信方式としてCDMAが1995年から実用化された。韓国政府は国内市場をCDMAに独占させることと見返りに、特許の保有者である米Qualcomm社が韓国メーカーに有利な条件で技術を使用させることを求めた。 • 2005年現在、CDMAは世界44カ国で採用され、サムスンやLG電子はCDMA方式の携帯電話端末で世界1,2位を占めることに成功。
4.第3世代の展開と日本の「ガラパゴス化」4.第3世代の展開と日本の「ガラパゴス化」 • 日本の携帯電話メーカーが海外で奮わなくなった理由、またノキアやモトローラなど海外で有力なメーカーが日本で奮わない理由は、2004年頃までについては「技術標準決定論」、すなわちGSMとPDCという方式の違いによって説明できる、ように思われた。 • そのため来るべき第3世代では技術標準における孤立を避けることが日本の官民挙げての課題となった。
名目上の世界標準を定めた第3世代 • 第2世代までは、各国または各通信事業者が勝手に技術標準を選択してきた。 • 第3世代に関しては、ITU(国際電気通信連合)の場で世界の技術標準を統一する話し合いが行われた。 • 欧州・日本はWCDMA、北米はCDMA2000を提案した。結局一つに絞ることはできず、中国提案のTD-SCDMAを含め、5つの技術標準が「世界標準」と定められた。
世界各国で採用されている第3世代の技術標準世界各国で採用されている第3世代の技術標準 TD W-CDMA CDMA2000
第3世代への「世代交代」は緩慢 第1世代から第2世代への移行開始 第1世代から第2世代への移行終了 新興国市場ではまだ第2世代(GSM)が普及の中心になっている。 第2世代から第3世代への移行開始
第3世代への移行が緩慢な理由 • 第1世代(アナログ)→第2世代(デジタル)ほどの革新性が、第2世代と第3世代の間にはない。 • 第2世代の間にも通信速度は高速化 • デュアルモード(例えばGSMとWCDMAの両用)の端末が作りやすくなり、国じゅうを第3世代の設備で塗りつぶす必要がなくなった。欧州では第3世代の基地局は国土をまだら模様にしかカバーしていない。 • ではなぜ日本だけは第3世代への世代交代が急ピッチなのだろうか。それは日本では通信事業者のリーダーシップが強く、高度なサービスの方へ消費者を誘導できたからである。
日本の「ガラパゴス化」 • 第3世代が緩慢ながら世界に普及するにつれ、日本の孤立は解消されつつある。しかし、日本メーカーは海外市場に復帰できない。 • 日本では通信事業者の要求に応じて日本独自の高度なサービス(ワンセグ、おサイフケータイなど)に対応した端末を開発しなければならないが、そうした開発努力が海外市場開拓に役立たない。 • 海外市場(特に成長著しい中国やインド)を開拓するには低価格、基本的機能、マーケティングが必要だが、日本市場ではメーカーがマーケティングを行う必要がない。
5.中国の携帯電話産業の展開 • 1994年に中国の二つの通信事業者(中国移動と聯通)がGSM方式のサービスを開始。以来、今日までGSMが主流となっている。 • 1998年まで中国の携帯電話端末市場はもっぱら外国ブランドによって占められていた。 • 中国政府は1999年に外資を制限し、民族系メーカーを後押しするため携帯電話生産のライセンス制を実施。 • これに後押しされて家電メーカー、通信機器メーカーなど多数が参入
中国メーカーのシェア拡大 • 「参入」といっても、最初は韓国・台湾メーカーからOEM供給を受けていた。 • やがて自社で開発・製造する割合が高まる。しかしグローバルなメーカーと対抗するうえで多数の機種を揃える必要があり、韓国、のちには中国の携帯電話設計会社に設計を外注することが多くなった。
携帯電話設計会社に外注するケース 半導体メーカー 部品調達 量産 卸売 小売 企画 デザイン 回路設計 試作 検証 中国の設計会社 中国の携帯電話メーカー 台湾系ODM、EMS
中国における携帯電話設計業の隆盛と現在 • 2001~2002年にかけて、中国の携帯電話メーカーを顧客とする携帯電話設計会社(デザインハウス)が次々に設立された。 • デザインハウスは、Texas Instrumentsなど欧米ICメーカーの提供するICとソフトウェア(プロトコル・スタック)、参照設計などに依存して携帯電話を開発。 • しかし、2005年以降、中国の大手ブランドがシェアを落としたり、日系メーカーが撤退するなどしたため、デザインハウスのなかでも興亡があった。
メディアテック(MTK)のICの隆盛 • 2005年頃まで中国の携帯電話メーカーやデザインハウスは欧米ICメーカーの携帯電話用ICを使って携帯電話を苦労して作っていた。 • 2005年頃から台湾のメディアテック(MTK)の携帯電話用ICが使われるようになった。メディアテックは参照設計、部品リスト、アプリケーションソフトまで込みで販売する戦略を採った。 • 晨訊、龍旗などのデザインハウスはメディアテックのICを搭載した携帯電話基板を販売する戦略を採った。 • 後発の中国メーカーやヤミメーカーがこの基板を利用した。
2009年2-3月の携帯電話市場シェア2003年にノキアを脅かした波導、TCLは10位以下になり、元ヤミケータイ業者の天宇が民族系ではトップ2009年2-3月の携帯電話市場シェア2003年にノキアを脅かした波導、TCLは10位以下になり、元ヤミケータイ業者の天宇が民族系ではトップ
6.日中の携帯電話産業が異なる進化を遂げた理由は何か?6.日中の携帯電話産業が異なる進化を遂げた理由は何か? • ①携帯電話市場の成熟度合の違い。飽和している日本市場→加入者が購入する端末・サービスの高級化に向かわざるを得ない。一方、中国ではなお年8000-9000万人のペースで加入者が増え続けており、ローエンドの市場が大きい。 • ②携帯電話の使用環境の違い。日本の携帯電話ユーザーは月平均97分通話、アメリカは月672分、中国は月455分。
主体的要因 • ③日本では上記のような環境に適応するために通信事業者が強いリーダーシップを発揮してきた。 • ④中国企業(人)の独立志向の強さが、次々と新規参入をもたらす。産業連鎖のなかで新たなビジネスモデルを模索する積極性がデザインハウス、ヤミケータイなど新しい企業類型を生み出した。
中国での第3世代サービス開始 • 2009年5月、3社に再編された中国の通信事業者はそれぞれ第3世代のサービスの商用試験を開始した。 • 3社の通信方式はそれぞれ異なっているため、各社が専用端末を調達して販売している。 • 3社はコンテンツ、テレビ受信など新しいサービスによって顧客を引きつけようとしている。→中国の携帯電話産業が日本型の進化を遂げるか? • しかし、他方で第2世代の加入者も農村を中心にまだ拡がるに違いない。中国的な垂直分裂的世界と日本的な垂直囲い込み的世界が併存する?