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社会運動としての専門職業と技術者倫理. 伊勢田哲治 名古屋大学 iseda@is.nagoya-u.ac.jp. アウトライン. 専門職倫理における専門職業のイメージ 1960 年代までの専門職業の社会学 専門職業の社会学における転換 フリードソン、ラーソン、アボット これらの研究における専門職倫理の位置づけ 社会学的知見をどう活かすか. 専門職倫理における専門職業のイメージ. 専門職業は社会に欠かせないサービスを高度な知識を使って提供する存在 免許、独占、倫理綱領など一定の条件をそなえたものが本来の専門職業
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社会運動としての専門職業と技術者倫理 伊勢田哲治 名古屋大学 iseda@is.nagoya-u.ac.jp
アウトライン • 専門職倫理における専門職業のイメージ • 1960年代までの専門職業の社会学 • 専門職業の社会学における転換 • フリードソン、ラーソン、アボット • これらの研究における専門職倫理の位置づけ • 社会学的知見をどう活かすか
専門職倫理における専門職業のイメージ • 専門職業は社会に欠かせないサービスを高度な知識を使って提供する存在 • 免許、独占、倫理綱領など一定の条件をそなえたものが本来の専門職業 • 専門職業と社会の間には一定の社会契約が成立し、専門職倫理はそれに依拠 • 技術業が専門職業に分類できるかどうかについては論争があるが、専門職業化というプロセスがだんだん進むということについては一致
専門職倫理における専門職業のイメージ • しかしこうしたイメージはきちんと最新の社会学的知見を反映しているだろうか?
1960年代までの社会学的分析 • こうしたイメージを作ったのは1960年代までの専門職業の社会学 • 構造機能主義のパーソンズらによって作られる • 専門職業がもっているとされる特徴(traits)を分析する特徴研究(Millersonが集大成)
Millerson (1964) • 21の特徴研究をサーヴェイし共通点をさぐる • 理論的知識に基づくスキル(12/21) • トレーニングと教育を必要とする(9/21) • 能力がテストされる(8/21) • 組織化されている(13/21) • 倫理綱領を持つ(13/21) • 利他的なサービス(8/21) • 他者のことに適用される(5/21) • 不可欠な公共のサービス(2/21) • 免許(2/21) • 明確な専門職ークライアント関係(2/21) • 信託クライアント関係(2/21) • 最善の公平なサービスを与える(2/21) • 同僚への忠誠(2/21) • 明確な料金(2/21) 免許やサービスの 公共性はあまり共通 了解ではなかった
専門職業の社会学における転換 • 機能主義の予定調和的イメージから葛藤理論の対立的イメージへ • 社会構造の観点で見る構造アプローチから個人間の相互作用を見る相互作用アプローチへ • より現実のデータにそった分析 • フリードソン、ラーソン、アボットら
Elliot Friedson • Professional Dominance (1970a) • Profession of Medicine (1970b) • 職業の分類ではなく専門職が何をするか、どうやってその地位を確立していくかに注目 • 専門職業の支配力(dominance)の根拠をミクロな仕事の現場の中にさぐる
Elliot Friedson(つづき) • 医師が独占権や権威を制度化していったのは医師-患者関係での不安定さ(患者が医師のアドバイスに従わないなど)を解消するためという分析 →専門職業化が社会契約にもとずくという考え方に疑義 →クライアントを持たない専門職業やクライアントとの関係が不安定でない専門職業への拡張可能性への疑問
Elliot Friedson(つづき) • 看護師の専門職業がいつまでも完全な自律性を獲得できないのは発展途上の専門職業だからではなく医師の専門職業が同じ職場で支配力を持っているため。 →専門職業化(professionalization)が社会的な必然性としてだんだん進行するという考え方に疑義
Elliot Friedson(つづき) • フリードソン自身は医療についてしか分析していないが、医師と看護師の職場における関係についての彼の分析の多くは、経営者と技術者の職場での関係にも適用可能なように見える。(経営的判断を下す自律性は経営者側が一方的に確保)
Magali Larson • The Rise of Professionalism (1977) • ラーソンは専門職業の興隆を自由市場経済が登場した近代という時代の特徴的出来事ととらえる →無時間的な機能主義の分析では専門職業の興隆のポイントをとらえることはできない。
Magali Larson(つづき) • ラーソンの分析では、専門職業化とは特殊な知識とスキルという希少資源を社会的・経済的報酬という別種の希少資源に変換する試み(p.xvii) • そのために専門職業は自らのマーケットを構成し、知識を独占して希少性を保つ
Magali Larson(つづき) • 専門職業が地位向上のために利用する手段やリソース(p.68) • 市場と独立 • 伝統的---貴族的・リベラルアーツの教育、ノブレス・オブリージュ • 近代的---体系的トレーニング、登録、免許 • 市場に依存 • 認知的排他性、高い収入、専門職業外の権力との結びつき
Magali Larson(つづき) • 医師と技術業の対比(pp.19-31) • 医師はホメオパスなど競合する専門職業との闘争の中で市場と独占権を確立し、高い地位を築いていった(昔から今のような高い地位があったわけではない) • 医療というサービス自体が市場の独占と自律性を勝ち取りやすい特徴をそなえていた(誰もが必要とする効果的なサービスをプライベートに提供)
Magali Larson(つづき) • 医療と技術業の対比(pp.19-31) • 技術業は特に競争相手はいなかったが、単一の市場を確立できず、均質的集団にもならなかった • 知識の生産物がサービスでなく人工物であるために市場のコントロールができなかった。(技術者を雇う企業が市場をコントロール) →技術者の市場の従属性(消費者向けの市場に従属する企業むけの市場
Andrew Abbott • The System of Professions (1988) • 特徴研究からLarson にいたるまでの研究がどれも英米の専門職業を主に念頭においていることを批判 • 英米では専門職業は自発的集団という形をとったのに対しフランスをはじめとする大陸では国家資格が専門職業の核になった
Andrew Abbott(つづき) • 専門職業化(professionalization)という社会的趨勢の存在を否定 • 専門職業化という考え方は、特徴分析をしたときに特徴にあてはまらない専門職業を「途上」の専門職業としてむりやり序列化したことに由来するもの
Andrew Abbott(つづき) • アボットは専門職業化の目安とされているさまざまな出来事が各国のさまざまな専門職業でいつ起きたかを調査 →一定の順序があるわけではなく、そうした特徴を持たないままになっている専門職業も多い(趨勢の存在の否定)
Andrew Abbott(つづき) • 専門職業をシステムとしてとらえる • 専門職とその任務を管轄権(jurisdiction)によって結びつけるものがシステム • 管轄権を発生・変化させる要因は多様(専門職業側の運動vs.国家による割り当て) • だんだん地位が向上したり「専門職業化」が進んだりということはない。(「霊媒」のように地位を失う専門職業もある)
Andrew Abbott(つづき) • 専門職業内部での地位の差についても考察→各専門職業の内部が均質で一枚岩だというのは幻想 • アボットは技術業をあまり事例に使っていないため、この枠組みが技術業にどうあてはまるかは不明確。競合する他の専門職業がないため、管轄権自体が問題になることはない?
専門職倫理の位置づけ • フリードソン----倫理綱領は一般大衆を専門職業が説得するために使われるが、個々のメンバーが綱領に従う保証もなく、被支配的職業が倫理綱領のおかげで真の専門職業になれたりもしない(専門職業のふりをするための「化粧」(cosmetics)とまで言う 1970b,p.185)。 • ラーソン---近代市場経済の論理だけでは市場を独占するのに必要な社会的信用が得られないため、専門職業側が伝統的リソースとしての職業的理想のイデオロギーを持ち出した。 • アボット----専門職が管轄権を要求する際の手段として団体の結成があり、倫理綱領もその一部。
専門職倫理の位置づけ • つまり、フリードソン、ラーソン、アボットらの分析では、専門職倫理は地位向上の道具のひとつ(しかもあまりあてにならない道具)という周縁的な役割しか与えられていない • 専門職倫理教育そのものが職場支配・地位上昇・管轄権獲得などの運動の産物
社会学的知見をどう活かすか • 社会学者たちの分析は技術者の専門職倫理を高めていこうという立場からはどう利用できるか • 技術者たち自身は何を目指すか • 社会制度として何が望ましいか • その望ましい制度を実現するために何ができるか
技術者は何を目指すのか • 純粋に地位向上を目指すのなら、倫理の充実に力を入れるのは効率がわるい • しかも • ラーソンの分析が正しければ、地位向上には技術者自身がコントロールできる市場を確立するしかないがこれは非常に難しい • フリードソンの分析をふまえるなら、医師のように仕事の中で権威を必要とするわけではない技術者にはそもそも地位向上の内在的必要性はない
技術者は何を目指すのか • 他方、技術者たち自身が倫理的に仕事がしたいと思い、そのために専門職業化というプロセスを利用したいと思うのであれば、専門職倫理としての技術者倫理に中心的に力をそそぐことになる。 →「地位向上のついでに技術者倫理」か、「技術者倫理のついでに地位向上」か • 前者の路線の方が大変だが技術者の得るものは大きい。ただし、本当に獲得可能な目標なのかどうかを、社会学的知見をふまえて吟味する必要あり
技術者は何を目指すのか • もっとポジティブなメッセージとしては、「技術業は真の専門職業ではないから技術者には専門職倫理は成立しない」といった遠慮は必要なくなる。アボットの分析をふまえるなら、そもそも真の専門職業などというものは機能主義の社会学者のあたまの中にしかなかったし、真の専門職業だから専門職倫理がはたらいていたわけでもない。「責任を引き受けます」と職業の側が表明した瞬間から専門職倫理ははじまる。
社会制度として何を目指すのか • 技術者がどう考えるかというのと別に、社会として技術者にどうなってほしいのか、そしてそれは実現できるのか、という、外からの視点で考えることもできる。 • フリードソンやラーソンが記述するような形での地位向上運動であれば、社会的にそれをサポートする理由はあまりない。 • 他方、倫理的でありたいがための地位向上運動、であれば社会的広がりを持ちうる
社会制度として何を目指すのか • アボットがいうように、確かに専門職業化などというプロセスは現実には存在してこなかったかもしれない。 • しかし、もしそのプロセスが社会にとって望ましいもので、しかも理論上実現可能なものなら、これからあらためて専門職業化をおしすすめるという社会的意思決定もありうるはず。
社会制度として何を目指すのか • フリードソンらの分析では、「社会との契約」は事実として成り立ってきたものではなく、もっぱら物語として共有されてきたもの。 →免許や認証の制度強化によって倫理の向上が望めるというのは非現実的 • しかし、技術者と社会の側がそれを信じることができるなら、技術者と社会をよりよい方向へ導くという目的のためには非常に有用な物語でもある。→アメリカではある程度成功
社会制度として何を目指すのか • その場合でも、自律性や独占性をともなった実質的な「社会との契約」の成立を目指すのは困難 • 技術者が誇りをもった仕事をし、社会がそれに敬意をはらう、というシンボリックな「契約」と地位向上、という方向であれば実現は比較的そうだが、あまりにミニマルであれば獲得目標としても魅力がなくなってしまう
まとめ • 従来の専門職倫理をささえてきた「社会との契約」イメージは社会学的実体にとぼしい。現実にあったのは専門職業による支配権(管轄権)獲得と地位向上の運動。 • 不十分な専門職業から十全な専門職業へ、という「専門職業化」という趨勢の存在も疑われている。違うものを無理に発展段階におしこんだだけ。
まとめ • しかし、契約のイメージは物語として成功してきており、社会と技術者を望ましい方向へ変えていくための道具として利用可能。 • そうした運動をすすめていく上では、共有するべき物語と現実に可能なことをうまく見分けながら物語を利用していくセンスが必要
文献 • Macdonald, K. (1995) The Sociology of the Professions. Sage. • Parsons (1939) "The Professions and Social Structure" reprinted in Essays in Sociological Theory(Free Press, 1954) • Millerson , G. (1964) The Qualifying Associations. Routledge and Kagan Paul. • Freidson, Eliot (1970a), Professional Dominance, • Freidson, Eliot (1970b), Profession of Medicine, Harper & Row. • Larson, Magali Sarfatti(1977) The Rise of Professionalism: A sociological Analysis. University of California Press. • Abbott,Andrew (1988) The System of Professions, University of Chicago Press.