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今津その2

今津その2. 今津東方(木下寿一氏より). 木下さんより. 「福岡県地理全誌」(平成 7 年 3 月発行・西日本文化・六)志摩郡今津村 309 貢。勝福寺の項に「万徳寺・東方口(拾遺には一万徳寺トウバル)」、「住喜軒・東方観音堂アリ」とあります。 現在 1 )万徳寺跡は、空き地・民家となっています。 2 ) 住喜軒は今津バス停前の観音様で残っています。. 勝福寺ミツウロコ(北条氏).

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今津その2

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Presentation Transcript


  1. 今津その2

  2. 今津東方(木下寿一氏より)

  3. 木下さんより • 「福岡県地理全誌」(平成7年3月発行・西日本文化・六)志摩郡今津村309貢。勝福寺の項に「万徳寺・東方口(拾遺には一万徳寺トウバル)」、「住喜軒・東方観音堂アリ」とあります。 • 現在1)万徳寺跡は、空き地・民家となっています。2) 住喜軒は今津バス停前の観音様で残っています。

  4. 勝福寺ミツウロコ(北条氏)

  5.  今津浦には下浦大庄屋役を三代にわたって務めた間氏があって九代宗寛が記した『万覚書』(寛政3年、1791)「新酒配分之家員」の中に「東方」とあります。勝福寺過去帳には明和4年(1767)から明治3年(1870)まで見られます。 今津浦には下浦大庄屋役を三代にわたって務めた間氏があって九代宗寛が記した『万覚書』(寛政3年、1791)「新酒配分之家員」の中に「東方」とあります。勝福寺過去帳には明和4年(1767)から明治3年(1870)まで見られます。

  6. トーボーの五ケ浦屋 •  今津バス停の前南側に丸五商店があります。同家は水崎氏で江戸期より昭和中期まで屋号を五ケ浦屋といい藩政時代には五ケ浦廻船業の中心的存在の家でした。明治中期に浜崎より今津に住まいを移されましたが、母は五ケ浦屋を「トーボー、トーボーの五ケ浦屋」と呼んでおりました。この呼びについて「トホー、ヒガシガタ」ではと問うたことがありますが、前記のように申しておりました。

  7. 筑前五ヶ浦廻船 • 残島(能古島)、今津、浜崎、宮浦、唐泊を総称した筑前五ヶ浦廻船。五ヶ浦廻船は筑前の米を江戸・大坂へ運んでいただけではなく、最大二千石の船を操って北陸、東北、北海道を西回り、東回りと日本全国を網羅する海運連合組織だった。

  8. 木下さんから • 明治の調査の書き順は「城〜東方(町)〜久保」とありますが、これを今日の番地にあらわしますと、逆の順序になりますが、通行上からも連続のルートにあります。 •    字久保1752〜1762 •    字町(−部・元東方)1792〜1874 •    字城1875〜1880

  9. インニャク(登志神社に合祀) • 稲荷社もか(勝福寺にもあり) • 旦過、旦過坂は登志神社・勝福寺の西に隣接

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