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連歌とは 貴族も武士も 庶民らも お坊もできる 歌い合う和歌

連歌. 連歌とは 貴族も武士も 庶民らも お坊もできる 歌い合う和歌. イ・連歌は何 ロ・連歌の歴史 ハ・有名な連歌集 ニ・有名な連歌師たち. 連歌は何. 基本の定義. 上 の句(五七五)と下の句(七七)を分かれ 、 別の人が詠むという唱和の仕方(付け合い)を 楽しむ文芸であった。. 連歌の種類. 長さについてー 短連歌:上句と下句ひとつつ づ 長連歌:上句+下句、 上句+下句 … 鎖のように続ける. 連歌の種類. 内容についてー 無心連歌(栗本連歌) 有心連歌(柿本連歌). 有心v .s 無心. 俳諧連歌. 俳諧=おどけ、戯れ

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連歌とは 貴族も武士も 庶民らも お坊もできる 歌い合う和歌

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Presentation Transcript


  1. 連歌 連歌とは 貴族も武士も 庶民らも お坊もできる 歌い合う和歌

  2. イ・連歌は何 ロ・連歌の歴史 ハ・有名な連歌集 ニ・有名な連歌師たち

  3. 連歌は何

  4. 基本の定義 上の句(五七五)と下の句(七七)を分かれ、 別の人が詠むという唱和の仕方(付け合い)を 楽しむ文芸であった。

  5. 連歌の種類 • 長さについてー 短連歌:上句と下句ひとつつづ 長連歌:上句+下句、 上句+下句… 鎖のように続ける

  6. 連歌の種類 • 内容についてー 無心連歌(栗本連歌) 有心連歌(柿本連歌)

  7. 有心v.s無心

  8. 俳諧連歌 • 俳諧=おどけ、戯れ 純正連歌に対する言葉 規則に縛られ形式化するにつれて、 庶民の笑いや機知を反映した連歌である。

  9. 連歌の歴史

  10. 上代〈奈良時代以前〉 万葉集に現存最古の例があるが、 実際には、 万葉集以前から行われていたのだろう。 但し名前はまだない。

  11. 中古〈平安時代〉 中期まで: 二人で1首の短歌を作るような例しかない。 「つらね歌」または「連歌」という名称が登場。 2句完結: 短連歌、 3句以上:「長連歌」「鎖連歌」

  12. 中世〈鎌倉時代〉 長句・短句を交互に連ねて 百句で一作品とした「百韻(ひゃくいん)」が登場。 以後近世初期まで標準となる。

  13. 当初ルール(「式目」と呼ぶ)は賦物〈ふしもの〉当初ルール(「式目」と呼ぶ)は賦物〈ふしもの〉 と呼ばれるものだったが、 中期以降 去り嫌いと呼ばれるルールが登場。 以後 現在に至るまで、式目は去り嫌いである。 なお賦物とは百句全てに同じ条件を課するルール。たとえば白黒連歌は白い物と黒い物を交互に出す。

  14. 中世〈南北朝時代〉 二条良基と救済が東西の式目を統一したり、 初の准勅撰連歌集『菟玖波集』(1356年) を 撰ぶなどして、 連歌の社会的地位が飛躍的に向上。

  15. 中世〈室町時代〉 連歌の全盛期 宗祇を中心として2番目の准勅撰連歌集 『新撰菟玖波集』(1495年) 連歌史上の最高傑作と呼ばれる 『水無瀬三吟百韻』 後半には俳諧連歌が盛んになる。

  16. 近世〈江戸時代〉 連歌は幕府や各藩の管理となって存続したが、 中級武家以下庶民に至るまで、俳諧が浸透。 芭蕉や蕪村といった 俳諧史上の巨人達が登場した。

  17. 近世〈江戸時代〉 滑稽を旨とした俳諧が 風流な文芸に変質するに伴い、 より俳諧性を残す川柳が成立流行した。

  18. 近代〈明治以降〉 正岡子規が俳諧を否定して 俳諧の最初の句(「発句」)を独立させ、 俳句と命名。以後俳諧を圧倒する。 が、子規の一番弟子高浜虚子は俳諧を好み、 俳句と紛らわしい「俳諧」の語をやめて 「連句」と命名。現在に至る。

  19. 有名な連歌集

  20. 莬玖波集 南北朝時代に撰集された連歌集。 巻数は20巻。句数は2190句。 以上の構成は、 勅撰和歌集の部立てに倣ったものである。

  21. 二条良基が僧救済の協力を得て撰集し、 最初の准勅撰連歌集となった。 連歌集の成立及び准勅撰の指定については 佐々木道誉の力添えが大きかったことから、 出詠者には皇室・公家のほか 足利尊氏・義詮・佐々木道誉などの武家も収められ、連歌の変遷を見ることができる。

  22. また、この連歌集の撰出により 連歌が和歌から独立し、 独自の文化としての地位を占めるようになった。 作者名の明らかな者は450名で 鎌倉期以後の作者が大部分を占めている。 上位入集者五名はすべて現存者であって この集を成立させるのに功あった面々であった、 すなわち救済(127句)・二品法親王尊胤(90句)・ 良基(87句)・導誉(81句)・足利尊氏(68句)である。

  23. 連歌新式 連歌 をつくる際の諸種のルールをまとめたものの一つ。本来「連歌本式」の存在を前提としてつけられた名称であるが、どのような内容のものをさすかは歴史的に複雑で、とくに鎌倉時代から南北朝時代にかけては明確ではない。

  24. しかし、1372年、二条良基(よしもと)と救済(きゅうせい)が制定したしかし、1372年、二条良基(よしもと)と救済(きゅうせい)が制定した 「応安新式」 以後は、だいたいそれか、それの改訂されたものをさすようになる。その大きい改訂は、1452年(享徳1)の一条兼良(かねら)、1501年(文亀1)の肖柏(しょうはく)などによるものがあるが、「応安新式」の大綱は変わっていない。近世の俳諧(はいかい)の式目(しきもく)にも大きい影響を与えている。

  25. 筑波問答 南北朝時代の連歌論書。二条良基著。 1372年ごろに成立。 老翁に連歌についてたずねる という設定の問答体で, 連歌の名称,起源,変遷,作法,風体等を記す。 連歌論として初めての体系的叙述で, 連歌を伝統文学と同じ地位にまで高めた。

  26. 連歌の完成 ささめごと:室町時代の連歌(れんが)論。 1冊または2冊。心敬(しんけい)著。 1463年、心敬が郷里の紀伊国田井荘に下ったとき、土地の人々の求めに応じて書き与えたものを原型とし、のち何度か増補・改編されている。

  27. 問答体で構成され、連歌の学び方、 作風論、付合(つけあい)論などを中心とするが、 和歌・仏教についての発言も多く含まれ、 全体としては総合的な芸術論の趣がある。

  28. 人生の無常哀苦を徹底して観ずることが、人間の内面的充実につながり、そのような境地での創作活動が理想だとする点は、他の多くの連歌論が技術論に終始しているにすぎないのに対し、独自の高さをもっていると評価される。また、幽玄や艶(えん)を中心とした美論も注目すべきである。人生の無常哀苦を徹底して観ずることが、人間の内面的充実につながり、そのような境地での創作活動が理想だとする点は、他の多くの連歌論が技術論に終始しているにすぎないのに対し、独自の高さをもっていると評価される。また、幽玄や艶(えん)を中心とした美論も注目すべきである。

  29. 水無瀬三吟百韻 室町時代の百韻連歌。1488年成立。 宗祇とその高弟,肖柏,宗長の3人が 水無瀬の後鳥羽院御影堂に奉納した連歌。 作者は当代の代表的連歌師たちで, 後世百韻連歌の模範とされた。

  30. 俳諧連歌 牌諧(はいかい)とは、 主に江戸時代に栄えた日本文学の形式、 また、その作品のこと。誹諧とも表記する。 正しくは俳諧の連歌あるいは俳諧連歌と呼び、 正統の連歌から分岐して、 遊戯性を高めた集団文芸であり、 発句や連句といった形式の総称である。 松尾芭蕉の登場により冒頭の発句の独立性が 高まり、発句のみを鑑賞する事も多く行われるようになり、明治時代に成立した俳句の源流となる。

  31. 時に作者個人の創作たる発句を完全に独立させた近代文芸の俳句と同一視される。専門的に俳諧に携わるひとを「俳諧師」と呼ぶ。 江戸期においては専業のいわゆる「業俳」が俳諧師と呼ばれていた。 本業があって趣味として俳諧を楽しむ人は「遊俳」と呼ばれ、遊俳は俳諧師とは呼ばれない。

  32. 最初の俳諧連歌集 竹馬狂吟集 俳諧撰集。一〇巻。1499 年序。編著者不詳。 四季発句二〇句、 四季・恋・雑の付合二一七組から成る。 日本で最初の俳諧撰集で、 縁語・掛け詞を駆使して、 滑稽・通俗な世界を描き出す。

  33. 山崎宗鑑の犬筑波集 室町後期の俳諧集。1冊。山崎宗鑑編。 享禄末から天文初年前後の成立か。 卑俗でこっけいな表現を打ち出し、 俳諧が連歌から独立する契機となった。 俳諧連歌抄。新撰犬筑波集。

  34. 荒木田守武の守武千句 俳諧集。1冊。荒木田守武著。 天文9年(1540)成立。慶安5年(1652)刊。 伊勢大神宮に奉納した独吟千句を 集めたもので、俳諧式目の基準ともなった。 誹諧之連歌独吟千句。飛梅千句。

  35. 有名な連歌師

  36. 「にひばり つくばをすぎて いくよかねつる」「にひばり つくばをすぎて いくよかねつる」 ーー倭建命 「かがなべて よにはここのよ ひにはとをかを」 ーー御火焼翁

  37. 菟玖波集に関わる連歌道の三賢(さんけん):菟玖波集に関わる連歌道の三賢(さんけん): ・二条良基(にじょうよしもと) ・救済(きゅうせい) ・周阿(しゅうあ)

  38. 其の前に! 善阿(ぜんな):鎌倉時代後期の僧・連歌師。 救済など地下連歌師の指導であり、 菟玖波集に作品が撰ばれた。

  39. 救済 きゅうせい ・僧、地下連歌師 ・菟玖波集の撰者 ・「応安新式」の制定者 周阿:救済の弟子、地下連歌師

  40. 二条良基 にじょう・よしもと 南北朝時代の公卿、従一位、摂政、関白、 太政大臣、そして連歌の集大成者。 救済に師事したので、実は「地下」連歌師。 菟玖波集の撰者、「応安新式」を制定。

  41. 後年は漢詩文に 影響され、 和漢聯句を 作り始めた。

  42. 新撰菟玖波集に関わる連歌師: ・宗祇(そうぎ) ・肖柏(しょうはく) ・宗長(そうちょう)

  43. 宗祇 そうぎ 室町時代の連歌師、相国寺の僧。 新撰菟玖波集を編纂、水無瀬三吟百韻の作者。 「古今集」、「源氏」などの古典の教養を持ち、

  44. 「長高く幽玄にして有心なる心」 水無瀬三吟などの連歌集以外、 句集、紀行文、 連歌論もある。

  45. 肖柏 宗祇から「古今和歌集」、「源氏物語」の秘伝を受け、75歳の時、 堺に移り、和歌、 連歌などを 指導していた。

  46. 宗長 政治圏でもかなり活躍した連歌師。 出家した後、今川義忠(よしただ)に仕えた。 28歳の時、義忠が戦死すると上洛して、 宗祇に師事した。 大徳寺の一休宗純に参禅。

  47. 48歳ごろ、駿河に戻って 今川氏親に仕え、 有力な武将や公家との 交際も広いので、 今川氏の外交顧問と 言われた。

  48. 純正(じゅんせい)連歌が形式化されて、 俳諧連歌が流行りだした。 俳諧連歌の連歌師: 山崎宗鑑(やまざき そうかん) 荒木田守武(あらきだ もりたけ)

  49. 山崎宗鑑 作品は自由奔放で 滑稽味、 連歌集 「新撰犬筑波集」

  50. 荒木田守武 戦国時代の伊勢神宮の祠官、 山崎宗鑑とともに俳諧の祖と言われている。 連歌集 「法楽発句集」 俳諧 「独吟百韻」 「守武千句」

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